朝日日本歴史人物事典 「伊奈忠順」の解説
伊奈忠順
生年:生年不詳
江戸中期の関東郡代。通称半左衛門。伊奈忠常の次男。はじめ旗本稲葉正篤の養子となったが,実兄忠篤の死により元禄10(1697)年伊奈家を継ぐ。利根川,荒川の治水や流域の開発に努める一方,同11年には江戸深川の永代橋の架橋,次いで深川築地普請の完成,本所堤防の修築など,江戸の拡張工事を推進した。宝永4(1707)年富士山大噴火後,駿河国(静岡県)駿東郡,相模国(神奈川県)足柄上・下郡の旧小田原藩領の一部を当分支配し,被災地の復旧工事を行ったが,郡代在職14年2カ月,事業半ばで没した。一説には窮民救済のため無断で米蔵を開放したため罷免されたという伝承もある。明治末年になって建てられた静岡県駿東郡小山町吉久保(1867)と須走(1907)に伊奈神社があり,忠順が祭られている。<参考文献>渡辺誠道『伊奈半左衛門忠順公贈位欽仰録』,本間清利『関東郡代』
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報