伊方庄(読み)いかたのしよう

日本歴史地名大系 「伊方庄」の解説

伊方庄
いかたのしよう

現伊方に比定される近衛家領庄園。伊加田とも記される。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書/鎌倉遺文一〇)に「庄務本所進退所々」として「伊方」と伊賀利いかり(現田川市)が併記され、近衛家が本所(領家)で、康重法師が知行権をもっていた。なお建久三年(一一九二)二月二八日の源頼朝下文(写、佐田文書/鎌倉遺文二、以下断りのない限り同文書)は「豊前国伊方庄住人」に宛てられており、前所衆中原俊房(宇都宮信房)が伊方庄地頭に補任されたというが、この下文は近世の写で、正文は黒田家の所望によって進上されたため、偽文書の可能性がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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