伊王島町(読み)いおうじまちよう

日本歴史地名大系 「伊王島町」の解説

伊王島町
いおうじまちよう

面積:二・二五平方キロ

長崎市の南西、香焼(こうやぎ)島の北西に位置し、北西部の伊王島(面積一・三一平方キロ)、南東部の沖(おき)ノ島(面積〇・九四平方キロ)の二島からなる。両島は細長い水路の伊王瀬戸(船津瀬戸とも)で隔てられ、香焼島との間に大中(おおなか)瀬戸がある。伊王島の南部に唐船(とうせん)岳(一〇八・六メートル)、沖ノ島の南部に遠見(とおみ)岳(一四九・一メートル)があるが、河川の発達はみられず、水源に乏しい。県道の伊王島線が通る。

律令制下では彼杵(そのき)郡のうちで、中世は彼杵庄のうちと考えられ、戸町氏、またのち上総国御家人の深堀氏の勢力下にあったと想定される。深堀氏は南北朝期および室町期に有力な勢力としてみえ、戦国期は肥前佐賀龍造寺氏のもとで大村純忠やその家臣の長崎純景と対立した。天正一二年(一五八四)龍造寺隆信の敗死後は一時大村氏の支配下にあったが、のち龍造寺氏の旧臣であった鍋島直茂の勢力下に入り、同一五年豊臣秀吉による九州仕置を迎える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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