日本歴史地名大系 「伊王島村」の解説
伊王島村
いおうじまむら
現伊王島町域の北西部を占める伊王島を村域とする。北西端に
慶長二年(一五九七)「長崎医王島」に南蛮黒船が来航したので焼却したという(明安調方記)。正保元年(一六四四)の菩提寺過去帳(伊王島町郷土誌)に伊王島とあり、正保国絵図に伊王島が描かれる。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)では深堀村のうちと考えられる。同八年の西国筋海陸絵図(国会図書館蔵)に「いおうの島」、元禄国絵図に伊王島、正徳五年(一七一五)の「長崎図志」に「硫黄島」「
長崎湊を扼する島として重きをなした。一六三〇年(寛永七年)三月、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報