伊田村(読み)いたむら

日本歴史地名大系 「伊田村」の解説

伊田村
いたむら

[現在地名]御津町伊田

旭川支流の新庄しんじよう川下流の小盆地に位置し、東は山口やまぐち(現赤磐郡赤坂町)と山境、西は矢原やばら村に接する。村名は「延喜式」兵部省に「凡射田廿町近江国八町、丹波国六町、備前国六町大射射手親王已下五位已上調習之資」とある「射田」が置かれていたことに由来するという(吉備温故秘録)。弥生時代の竪穴住居跡群や古墳群などの遺跡も多く、古代には赤坂あかさか宅美たくみ郷に属していたといわれる(備陽記・備陽国誌)。康永元年(一三四二)の「備前一宮社法」に「いた」の村名がある。

村域中央部にある殿谷とんだに城跡は、平家家人難波次郎経遠の苗裔難波将監経尊の築城と伝え(東備郡村志)、長禄(一四五七―六〇)から文明(一四六九―八七)頃の城主難波掃部介・同十郎兵衛行豊は赤松政則による赤松家再興に加勢し各地に転戦して軍功をあげた(文明一三年四月七日「難波行豊軍忠状」黄薇古簡集)永禄年中(一五五八―七〇)難波八郎左衛門経定は宇喜多直家に敗れ、以後宇喜多氏の家臣となった(東備郡村志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報