伊良波村
いらふあむら
北は瀬長村・名嘉地村・我那覇村、西は数珠潟原を挟んで東シナ海に面する。イラファ村とよび、イラー村ともいう。南隣の座安村と併称してザー・イラーという。絵図郷村帳に豊見城間切「いらは村」とみえるが、琉球国高究帳には記載がない。「琉球国由来記」には同伊良波村とみえる。間切集成図では西側の海岸線に沿うように当村が描かれる。道筋は瀬長村の西を南下し海岸線に沿ってさらに南下する。伊良波地頭職に乾隆二六年(一七六一)向氏伊良波親雲上朝利がみえる(「中山世譜」附巻)。明治六年(一八七三)の伊良波親雲上の家禄・物成はなく、当村からの作得は六石余(琉球藩雑記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 