瀬長村(読み)しながむら

日本歴史地名大系 「瀬長村」の解説

瀬長村
しながむら

[現在地名]豊見城瀬長せなが

東は名嘉地なかち村、西は東シナ海に面し、沖合瀬長せなが島が浮ぶ。絵図郷村帳に豊見城とうみぐすく間切「せなか村」とみえるが、琉球国高究帳には記載がない。「琉球国由来記」には同瀬長村とみえる。間切集成図には小禄うるく間切との境に我那覇がなふあ・名嘉地・瀬長の三ヵ村が接して描かれる。道筋は小禄番所(現那覇市)を西に進み、南下して宇栄原ういーばる(現同上)の前の井の場所から西に折れ、当村の西で豊見城間切に入り南下して海岸に出る。西方には瀬長島が描かれる。康熙五八年(一七一九)尚敬王の冊封のために琉球を訪れた徐葆光は、一一月二一日蔡温の案内で「砂嶽」(瀬長島)に足を運んでいる(南山遊記・琉球国志略)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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