伊芸村
いーじむら
金武村の西に位置し、北の恩納岳を背に金武湾の入江に発達した兼久(砂丘の意)に立地する。絵図郷村帳に金武間切「いげ村」とみえる。琉球国高究帳でも同様にみえ、高頭一二四石余、うち田一一八石余・畠六石余。絵図郷村帳にみえる「平田村」は「当時無之」と注記されており、享保二一年(一七三六)当時は存在していなかった。このことについて、「村の記録」伊芸誌は伊芸村と平田村は山裾の丘陵地に立地していたが、尚貞王六年(一六七四)に平田村が廃されたとしている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 