ハンセン(読み)はんせん(英語表記)Lars Peter Hansen

精選版 日本国語大辞典 「ハンセン」の意味・読み・例文・類語

ハンセン

  1. [ 一 ] ( Armauer Gerhard Henrik Hansen アルモア=ゲルハルト=ヘンリック━ ) ノルウェーの医学者。一八七三年癩(らい)菌を発見。ノルウェーにおける癩撲滅運動を指導した。(一八四一‐一九一二
  2. [ 二 ] ( Peter Andreas Hansen ピーター=アンドレアス━ ) デンマーク天文学者天体力学の分野での功績が多く、特に、一八五七年に計算した月運行表は長くイギリス暦に採用。(一七九五‐一八七四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハンセン」の意味・わかりやすい解説

ハンセン(Lars Peter Hansen)
はんせん
Lars Peter Hansen
(1952― )

アメリカの経済学者。計量経済学の第一人者。イリノイ州シャンペーン生まれ。1974年にユタ州立大学で数学と政治学を学んで卒業(数学士、政治学士)した後、1978年にミネソタ大学で経済学博士号(Ph.D.)を取得した。ミネソタ大学在学中に、クリストファー・シムズやトーマス・サージェントの薫陶を受け、市場価格を検証する一般化モーメント法(Generalized Method of Moments:GMM)の着想を得ている。カーネギー・メロン大学、シカゴ大学で教鞭(きょうべん)をとった後、1984年からシカゴ大学教授。専門は計量経済学で、経済学会と政策当局との橋渡しにも努めている。2013年に「資産価格の実証分析の発展に対する貢献」によりノーベル経済学賞を受賞した。シカゴ大学のユージン・ファーマ、エール大学のロバート・シラーとの共同受賞である。

 ノーベル賞を同時受賞したファーマは1960年代に、サミュエルソンとともに、あらゆる情報が市場を通じて瞬時かつ合理的に株式や債券などの資産価格に反映されるという「効率的市場仮説」を提唱、資産価格はランダムに変動し短期的に価格を予測することはできないと主張した。一方、同時受賞したシラーは、人間はかならずしも合理的には行動せず、資産価格は長期的には一定の傾向にしたがって予測可能と提唱した。しかしファーマやシラーのモデルは、現実の資産データの変動が動的で複雑なため、十分には説明できなかった。ハンセンは資産価格データを動的、時系列的に検証できる一般化モーメント法という新たな手法を開発。資産価格の変動をうまく説明するのに成功した。一般化モーメント法は金融分野だけでなく、社会科学の各分野にも幅広く用いられている。

[矢野 武 2021年5月21日]


ハンセン(Alvin Harvey Hansen)
はんせん
Alvin Harvey Hansen
(1887―1975)

アメリカのケインズ派経済学者。1915年ウィスコンシン大学を卒業、ブラウン大学講師、ミネソタ大学教授を経て、1937年以降ハーバード大学リッタワー行政学院教授。そのかたわら、政府の経済顧問としても業績を残し、さらに1938年にはアメリカ経済学会会長を務めた。当初、景気理論に関心をもっていたが、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)の影響を受けて、アメリカにおけるケインズ学派の中心的役割を果たした。第二次世界大戦前は、先進資本主義国における不況を長期停滞論として説明づけ、民間部門と公共部門からなるいわゆる二重経済の必要性を強調し、ニューディール政策の理論的基礎を与えた。戦後は、ケインズ政策の有効性が広く受け入れられるようになったことから、教育施設などへの公共投資による福祉国家への道が課題であると考えた。ケインズ理論の普及に努めるとともに、サミュエルソンPaul A.Samuelson(1915―2009)やトービンJames Tobin(1918―2002)など後のノーベル経済学賞受賞者をも育てた。『財政政策と景気循環』Fiscal Policy and Business Cycles(1941)などの著作がある。

[中村達也]

『都留重人訳『財政政策と景気循環』(1950・日本評論社)』『小原敬士訳『経済政策と完全雇用』(1949・好学社)』『大石泰彦訳『ケインズ経済学入門』(1961・創元社)』『小原敬士・伊東政吉訳『アメリカの経済』(1959・東洋経済新報社)』


ハンセン(Peter Andreas Hansen)
はんせん
Peter Andreas Hansen
(1795―1874)

デンマークの天文学者。月運行表の作成者。少年のころは時計修理工であったが、1821年コペンハーゲンのアルトン天文台で計算助手をつとめ、天体力学を修めた。一般摂動論において独自の解析を行い、それを月や惑星の運動に適用した。1825年新設のゼーベルク天文台長に迎えられ、1857年には彼のために新天文台が建設された。月の運動理論に関する著書も著し、1857年には月運行表を作成した。この表はただちにイギリス航海暦に採用され、以後1923年にE・W・ブラウンの表が公刊されるまで通用した。ハンセンの研究は測地学、光学、確率論など広範囲で、ドイツ、フランスの科学アカデミー、イギリスの王立天文協会より賞を授与されている。

[島村福太郎]


ハンセン(Martin Jens Hansen)
はんせん
Martin A. Hansen
(1909―1955)

デンマークの作家。シェラン島の農家に生まれ農耕に従う。のち進学し教師になるが、小説『いまや彼は断念する』(1935)で、1930年代の農業危機を扱って注目を浴びる。童話風の『ナタンの旅』(1941)、『幸福なクリストファー』(1945)で地歩を確立。短編集『茨(いばら)の藪(やぶ)』『鷓鴣(しゃこ)』のあとは評論活動や文化史研究に没頭し、『煙突の中での思考』(1948)、『レビアタン』で思想的・民俗学的な深化を示し、グルンドビー、キルケゴールに共鳴して、進化論、マルクス主義に対決する立場をとる。50年ラジオ小説『嘘(うそ)つきたち』で成功を収める。最後の大作『蛇(へび)と牡牛(おうし)』(1952)は北欧文化賛歌で、20世紀北欧の代表作の一つに数えられる。『アイスランドへの旅』(1954)など旅行記もある。

[山室 静]


ハンセン(Gerhard Henrik Armauer Hansen)
はんせん
Gerhard Henrik Armauer Hansen
(1841―1912)

ノルウェーの細菌学者。ベルゲン生まれ。クリスティアニア大学で医学を修め、ベルゲンのハンセン病院院長。1871年新鮮な摘出らい結節の細胞内に限って微細な桿(かん)状体の存在をみつけて桿菌と判断、のちに染色法を用いて桿菌を確認し、1874年発表したが、ウサギの感染試験には成功しなかったと報告している。のちの研究者はハンセンの研究を承認し、彼をらい菌発見者とした。ハンセン病は彼の名にちなむ。

[藤野恒三郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンセン」の意味・わかりやすい解説

ハンセン
Hansen, Lars Peter

[生]1952.10.26. イリノイ,シャンペーン
アメリカ合衆国の経済学者。1974年にユタ州立大学で数学と政治経済学の学士号を,1978年にミネソタ大学で経済学の博士号を取得した。1978~81年カーネギーメロン大学で准教授を務めたのちシカゴ大学に移り,1984年経済学部の教授となる。2010年に同大学デービッド・ロックフェラー特別教授職につく。資産価格決定の理論を実証データに基づき検証する統計的手法を開発した。株式市場の相互関係が,市場の将来の利益を予測するのに使えるかどうかを検証する手法は,株式会社の時価総額や市場価値の一部としての簿価など,それ以外の要因のほうが重要であることを明らかにした。1982年に一般化モーメント法 GMMを開発し,これを使って資産価格データの特性分析を行なった。2013年,「資産価格の実証分析」への貢献により,ユージン・F.ファーマ,ロバート・J.シラーとともにノーベル経済学賞を受賞した。3人の研究と分析の成果は,株式や債券,不動産などの金融資産の価格と,それらの価格を動かす要因を研究する新たな手法を見出すことにつながった。

ハンセン
Hansen, Alvin Harvey

[生]1887.8.23. サウスダコタ,ビボーグ
[没]1975.6.6. バージニア,アレクサンドリア
アメリカの経済学者。 1915年ウィスコンシン大学卒業,18年同大学で博士号を受け,その後ミネソタ,スタンフォードなどの大学を経て 37~56年ハーバード大学リタワー行政学院教授。アメリカ国務省,国際経済省,社会保障諮問会議,カナダ政府などに関係して実際の経済政策にもたずさわり,ニューディール政策に理論的基礎を与えた。主著『財政政策と景気循環』 Fiscal Policy and Business Cycles (1941) ,『貨幣理論と財政政策』 Monetary Theory and Fiscal Policy (47) ,『アメリカの経済』 The American Economy (57) ,『1960年代の経済問題』 Economic Issues of the 1960's (60) など。

ハンセン
Hansen, Armauer Gerhard Henrik

[生]1841.7.29. ベルゲン
[没]1912.2.12. ベルゲン
ノルウェーの細菌学者,医師。らい菌の発見者。彼の名にちなんで,今日らいはハンセン病と呼ばれている。 1868年ベルゲンで医師となり,70~71年にはボンとウィーンに留学,組織学の研究に従事,75年にはベルゲン療養所所長となった。この間,患者の生体組織のなかに微生物を発見,79年これがらい菌であることを確認した。以後患者の隔離と消毒法の実施に終生尽力した。 1901年ベルゲンに記念像が立てられた。

ハンセン
Hansen, Martin (Jens) Alfred

[生]1909.8.20. シュトロビー
[没]1955.6.27. コペンハーゲン
デンマークの小説家。出世作『ヨナタンの旅』 Jonatans Rejse (1941) は怪異な想像力で 20世紀文明を風刺的に描いたもの。『幸福なクリストファー』 Lykkelige Kristoffer (45) ,短編集『さんざしの藪』 Tornebusken (46) ,『嘘つき』Løgneren (50) などを経て,代表作『蛇と牡牛』 Orm og Tyr (52) を発表。

ハンセン
Hansen, Peter Andreas

[生]1795.12.8. トンデルン
[没]1874.3.28. ゴダ
デンマークの天文学者。最初は時計商を志したが,H.シューマッヘルの助手として,アルトナの天文台で観測研究を行い (1821~23) ,のちゴダのゼーベルク天文台台長 (25) 。月の運動理論を発展させ,それに基づいて,地球と太陽の間の距離をより正確に算定。 1853年には太陽の新しい運行表を発表した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハンセン」の意味・わかりやすい解説

ハンセン
Armauer Gerhard Henrik Hansen
生没年:1841-1912

ノルウェーの癩医学者,癩菌の発見者。癲病をハンセン病またはハンセン氏病とも称するのは彼の名にちなむ。ベルゲンに生まれる。クリスティアニアで医学を修め,ダニエルセンD.C.Danielssenの助手となる。1869年にベルゲンの癩療養所の医員となり,翌年ボン,ウィーンに遊学ののち,再びベルゲンの療養所に戻り,75年同所所長となる。彼は71年にすでに癩患者の組織細胞内から癩菌を発見していたとされるが,これを公表したのは74年である。ノルウェーなどでは1873年を同菌の発見の年としている。彼はさらに癩患者の隔離および消毒法の実施に力を尽くし,このため19世紀末には患者数が激減した。《癩の病理学》《癩菌研究》などの著がある。1901年,ベルゲンに記念像が建てられた。
ハンセン病
執筆者:


ハンセン
Peter Andreas Hansen
生没年:1795-1874

デンマークの天文学者。初め時計職人として身を立てたが,1820年天文・測地学者シューマハーH.C.Schumacherの助手となりホルシュタイン地方の子午線弧の測量に従事した。25年エンケの後任としてドイツのゴータにあるゼーベルク私設天文台長となり,59年には同地に新設のゴータ天文台の初代台長に招かれて終世その地位にあった。ハンセンは独特の摂動論を考案して惑星やすい星の運動論に,のちには月運動論に適用して大きな成果をあげた。すなわち木星,土星の相互摂動の研究でベルリン科学アカデミー賞を得(1830),またその《月運動表》(1857)は刊行後ただちに英国暦に採用されて1923年にブラウンの月運動表が現れるまで使われた。1842年と60年にイギリスの王立天文学会の金牌を受賞した。
執筆者:


ハンセン
Alvin Harvey Hansen
生没年:1887-1975

アメリカの経済学者。アメリカにおけるケインズ経済学の導入に指導的役割を果たし,1935年から65年の間のアメリカのマクロ経済政策の歴史的な転換に大きな影響を与えた。完全雇用の達成を重視し1946年の雇用法の実現に貢献した。サウス・ダコタ州ビボーグに生まれ,1915年ウィスコンシン大学を卒業,ブラウン大学,ミネソタ大学を経て37年にハーバード大学に移り,永年にわたりリッタウア行政学院で教鞭をとり,その門下から多くの学者を出している。主著はミネソタ時代の《失業保険計画》(1934)をはじめ,1938年ケインジアンヘの転向後の《財政政策と景気循環》(1941),《経済政策と完全雇用》(1947),《景気循環と国民所得》(1951)などがある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ハンセン」の意味・わかりやすい解説

ハンセン

米国の代表的ケインズ派経済学者。ハーバード大学名誉教授。1930年代末に長期停滞論を唱え,これを克服するため公共投資による混合経済の必要を強調し,ニューディール政策の理論的基礎づけをした。著書は《経済政策と完全雇用》《財政政策と景気循環》など。
→関連項目ケインズ学派

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367日誕生日大事典 「ハンセン」の解説

ハンセン

生年月日:1887年8月23日
アメリカのケインズ学派の経済学者
1975年没

ハンセン

生年月日:1795年12月8日
デンマークの天文学者
1874年没

ハンセン

生年月日:1842年5月8日
デンマークの植物学者
1909年没

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世界大百科事典(旧版)内のハンセンの言及

【財政学】より

…フィスカル・ポリシーの理論では,(1)〈安あがりの予算が最良の予算である〉という古典派の緊縮予算主義は否定され,予算規模は発生したデフレ・ギャップの大きさに対応して決めらるべきだとする,(2)つねに均衡予算を堅持するのではなく,景気の循環に対応して赤字または黒字予算を組むという景気調整的財政活動が要請される,(3)古典派のようにつねに消費税優先を説くのではなく,不況期には消費よりも貯蓄課税を優先することが不況克服に役立つとする,(4)公債は必ずしも資本の浪費ではなく,不況期には公債発行による経費の増加は乗数効果を通じて資本蓄積に役立つとした。フィスカル・ポリシーの理論は,アメリカでA.H.ハンセンA.P.ラーナーにより体系化された。この理論は短期的な安定政策を主要課題としていたが,R.F.ハロッドがケインズ理論の長期動態化を図るとともに,新たに財政政策の長期的目標が問題とされた。…

【月運動論】より

… ニュートンはその著《プリンキピア》の中で月の運動を論じており,これが月運動論の嚆矢(こうし)である。ニュートンに続いてA.C.クレロー,L.オイラー,J.ダランベール,P.S.ラプラス,ダモアゾーM.C.T.Damoiseau(1768‐1846),ラボックJ.W.Lubbock(1803‐65),ド・ポンテクーランP.G.de Pontécoulant(1795‐1874),プラーナG.Plana(1781‐1864),S.D.ポアソン,P.A.ハンセン,C.E.ドローネー,G.W.ヒル,J.C.アダムズ,ブラウンなどの理論が相次いで現れた。この中でハンセンがその理論に基づいて作成した《太陰表》(1857)は,その後半世紀余にわたって天体暦の月の位置推算の基礎データとして使われたが,ようやく1923年にブラウンの《太陰表》(1919)に引き継がれた。…

※「ハンセン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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