伊藤博文旧宅(読み)いとうひろぶみきゆうたく

日本歴史地名大系 「伊藤博文旧宅」の解説

伊藤博文旧宅
いとうひろぶみきゆうたく

[現在地名]萩市大字椿東 椎原

松下村塾の東南一五〇メートルにある。国指定史跡

もと萩藩の軽卒(中間)水井武兵衛の居宅で、のち伊藤直右衛門宅となった。博文は熊毛くまげ束荷つかり(現大和町)に生れ、家は代々農家であったが、九歳のとき父十蔵とともに萩に出、安政元年(一八五四)一四歳のとき父が伊藤氏を継ぎ、一家をあげて当所に移住した。その後明治元年(一八六八)博文が兵庫県知事に赴任するまでの一三年間その本拠となったが、一七歳のとき吉田松陰の門に入ったのち尊攘運動に参加し、英国に留学するなどほとんど当所に安住することがなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「伊藤博文旧宅」の解説

いとうひろぶみきゅうたく【伊藤博文旧宅】


山口県萩市椿東(ちんとう)にある邸宅跡。松下村塾から南に150mのところにある。もと長州藩の中間、水井武兵衛(のち伊藤直右衛門に改名)の居宅であったが、1854年(安政1)、博文14歳のときに父林十蔵が直右衛門の養子となり、一家をあげて伊藤家に入家し、居住した。茅葺き、入り母屋造りの平屋建てで、総建坪29坪、付属建物として便所、風呂場がある。居宅各室は6畳1室、5畳半1室、4畳半1室、3畳3室、2畳1室、玄関土間である。博文は松下村塾に通い、その後イギリスに留学するなどし、この家に安住するいとまはなかったが、1868年(明治1)に兵庫県知事に赴任するまでこの家が本拠であった。1932年(昭和7)に国の史跡に指定された。隣に別邸があり、博文晩年の1907年(明治40)に東京に建てられていたものの一部を萩に移築した。徒歩数分のところに松陰神社、松下村塾がある。JR山陰本線萩駅からコミュニティバス「松陰神社前」下車、徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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