伊藤宗十郎(読み)いとう・そうじゅうろう

朝日日本歴史人物事典 「伊藤宗十郎」の解説

伊藤宗十郎

生年生没年不詳
戦国末・安土桃山時代の豪商。法名は安中織田信長の城下清州(愛知県)における尾張美濃(岐阜県)両国の商人司。慶長15(1610)年,子の助三郎の代に清州より名古屋本町へ移住。屋号は唐木屋。「寛延旧家集」(『名古屋叢書』12巻)に関係文書が18通収録されている。これらによれば,宗十郎信長より尾張・美濃両国の唐人方(輸入呉服)および呉服方の商売司を拝命したのは元亀3(1572)年12月で,その支配は両国一円におよんだ。国内商人はどの売り子でも伊藤支配の夷講へ加入,その手形を所有する義務があった。また,清州で商売をする他国商人も支配した。<参考文献>豊田武『増訂中世日本商業史の研究

(岩崎義則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤宗十郎」の解説

伊藤宗十郎 いとう-そうじゅうろう

?-1615? 織豊時代の豪商。
伊藤祐広(すけひろ)の子。名は祐道。父とともに織田信長につかえ,元亀(げんき)3年朱印状をえて尾張(おわり),美濃(みの)の呉服商を統括した。慶長16年名古屋に呉服小間物問屋いとう呉服店(松坂屋前身)を創業。20年大坂の陣で戦死したという。のち子の祐基が営業を再開,伊藤次郎左衛門(初代)を名のった。

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