伊賀館跡
いがたてあと
[現在地名]泉崎村関和久
関和久の北西部、標高約三二二メートル、比高約一六メートルの独立した白河丘陵上に占地する。現在館跡の山頂に関和神社がある。関和神社はもと山王山にあり山王大権現社と称し、天正(一五七三―九二)頃に現在地に移り、明治元年(一八六八)関和神社と改められた。祭神は大山咋命(目で見る泉崎村のあゆみ)。館主の熊田伊賀忠氏は結城白川氏の老臣といわれ、その子孫若狭介兼氏は初め熊田与惣左衛門光行と称したという(白河古事考)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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