関和久村
せきわぐむら
[現在地名]泉崎村関和久
南を阿武隈川が東流し、その沖積平野に田地が開ける。北西は北平山村、東は二子塚村(現中島村)、南は阿武隈川を挟んで借宿村(現白河市)、蕪内村・深仁井田村(現東村)と接する。西方木ノ内山(人なつかしの山)前の地および村内上町にまたがって古代の白河郡衙跡があり、借宿村から阿武隈川を渡り伝馬の道が当村地内を通り、二子塚村辺りで東山道に合流したと思われる。康永二年(一三四三)と思われる一一月二八日の結城親朝譲状案(仙台結城文書)によれば白河庄のうちに堰和久とみえ、子息七郎兵衛尉朝常に譲られている。天正一八年(一五九〇)から会津領、寛永四年(一六二七)以降白河藩領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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