伊達村候(読み)だて むらとき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊達村候」の解説

伊達村候 だて-むらとき

1725-1794 江戸時代中期-後期大名
享保(きょうほう)10年5月11日生まれ。伊達村年(むらとし)の長男。享保20年伊予(いよ)(愛媛県)宇和島藩主伊達家5代となる。農地制度を鬮持(くじもち)制から高持制にあらため,倹約令をだし,製紙・製蝋(せいろう)などを奨励,藩校内徳館を創設するなど藩政改革尽力,中興の英主といわれた。寛政6年9月14日死去。70歳。初名は村房(むらふさ),村隆(むらたか)。

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367日誕生日大事典 「伊達村候」の解説

伊達村候 (だてむらとき)

生年月日:1725年5月11日
江戸時代中期の大名
1794年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の伊達村候の言及

【宇和島藩】より

…伊予国(愛媛県)宇和郡宇和島に藩庁を置いた外様中藩。豊臣秀吉の四国征伐後,宇和郡は1587年(天正15)戸田勝隆,95年(文禄4)藤堂高虎が領主となり,高虎は板島丸串城を本城として築城した。1608年(慶長13)富田信高が領主となり,15年(元和1)伊達政宗の庶長子秀宗が宇和郡10万石の領主として入部し,以後廃藩まで伊達氏9代の治世が続いた。秀宗は18‐35年(元和4‐寛永12),父政宗の隠居料として3万石を割き,この間宇和島藩は7万石であった。…

※「伊達村候」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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