江戸時代、幕府や諸藩が頻発した質素倹約に関する法令。江戸時代以前には奢侈(しゃし)禁止令を「過差(かさ)の禁」といったが、江戸時代に入って一般に倹約令と称するようになった。江戸幕府は士民に対してきわめて頻繁に質素倹約を命じている。歴代将軍の発した「武家諸法度(しょはっと)」にも倹約の条項があり、農民に対しても1649年(慶安2)の「慶安御触書(けいあんのおふれがき)」に衣食住の節倹に関する細かな規定があった。また町人に対しても、彼らが経済的に実力を伸長した17世紀後半以降、しきりにその奢(おご)りを禁ずる旨の法令が出ている。
倹約令には単に節約奨励、奢侈禁止を目的とするものと、幕府の財政緊縮を目的とするものとがある。前者は、これによって士農工商の身分秩序を維持し、分限を越えた奢侈を抑えようとするもので、幕初から幕末までほとんど常時発せられた。しかし幕府が禁じた奢侈とは、17世紀後半以降は商品生産の展開による経済の発展、生活の向上によりもたらされたものであったため、その実効性となると甚だ疑問である。一方、財政緊縮を目的とする倹約令は、幕府財政の消長とほぼ並行して享保(きょうほう)の改革(1716~45)以後とくに顕著にみられ、ことに1783年(天明3)に財政緊縮令が出てのちは、7年、5年、あるいは3年間の期限付きで次々に延長され、この法令はほとんど切れ目なく幕末に至っている。概して享保、寛政(かんせい)、天保(てんぽう)の、いわゆる三大改革期は、風俗取締令と絡めて、とくに厳重な倹約令が断行された。諸藩でも藩政改革が行われた際に、藩士や領民に対して倹約令が頻発された。
[竹内 誠]
倹約をすすめる,または強制する法令。江戸時代以前にもみられたが,〈倹約〉という漢語が日本で使われるようになったのは中世かららしく,その前後には倹約令にあたるものとして〈過差の制〉が行われていた。江戸時代に入ると,幕府はしばしば倹約令を出し(諸藩なども同様である),それは財政状態の悪化する中期以降はなはだしくなり,ことに享保,寛政,天保の改革時には頻発される。その目的は主として財政緊縮と封建的身分制の弛緩を抑えることにあり,諸大名や旗本以下の武士,農民や町人などに対してそれぞれ発令された。たとえば1721年(享保6)8月24日には〈御役所々々随分心を付,御物入無之,御費かましき無益之儀無之様可被仕候〉(《憲法編年録》)との経費節減令が出された。また24年には諸大名に対して〈音信・贈答・嫁娶之規式・饗宴等,万事倹約を可用旨〉に始まって,日常生活に関するこまごまとした点にまで干渉を加えている(《御触書寛保集成》)。それは農民や町人たちに対しても同様であった。また諸商品の製造販売にも制限を加えた。
執筆者:斎藤 洋一
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江戸時代,幕府・藩が武士や領民に対し質素倹約を督励し,贅沢を禁じた法令。幕府の倹約令は「御触書集成」の「倹約之部」にまとめられている。大名・旗本に対しては元和・寛永期から「武家諸法度」や「諸士法度」で倹約を要求。また彼らの驕奢を禁じる法令を数多く発し,1649年(慶安2)には倹約を「天下御掟」として諸大名に令達。百姓・町人に対しても,江戸初期から折にふれ衣食住,冠婚葬祭などに細々とした制限を加え,倹約を奨励しながら分相応の生活を強制した。江戸中期以降の緊縮財政下では,諸役所の経費節減を求めたものが出されるようになった。享保・寛政・天保の各改革時には各方面に倹約令がくり返し発令され,違反した者はきびしく罰せられた。
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…しかし3代将軍家光以後歴代の将軍が天皇家・皇族・上級公家から御台所を迎えるようになり,また文治政治の方針が確立して諸事に形式・儀礼の尊重の風がゆきわたるとともに,大奥に京都の公家風が浸透し,諸制度も繁雑なものになり,大奥独特の風俗習慣を形成した。平常の衣服も,御台所をはじめ御目見以上の身分の者は,品質の高下はあったが贅沢な絹物の衣類を用い,結髪の仕方,衣服の色柄なども身分・役柄・季節・式日と平日によって変えるなどし,倹約令の施行なども大奥には及ばないことが多かった。
[幕政と大奥]
大奥法度にも規定されているように,表の政治に介入することは厳禁されていたが,実際には影響を及ぼしたことも少なくなかった。…
…しかしこの時期の幕政をみると,近世社会の変質期に入って領主的支配全般の弛緩があらわれ,農民の抵抗も高揚する傾向を示し始めた事態に対応し,幕府主導による領主的支配の強化に少なからず努力している。例えば1668年の倹約令は,朝廷を含めて全社会層を対象とし,諸藩政へも強く反映した点において前後に比をみぬものであり,また大名・諸役人への監察強化も著しい。こういう一連の権力集中強化政策が忠清専権の批判を生んだのであろう。…
※「倹約令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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