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倹約令 けんやくれい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

倹約令
けんやくれい

奢侈を禁じ,経費の節約を奨励し,身分秩序の維持を目的とした命令。倹約の思想は奈良,平安時代以降行われ,主として服制を規定したものであり,「過差禁止の法令」と呼ばれた。この思想は鎌倉時代にも継承され,室町時代,『建武式目』には過差の禁止が明示されている。江戸時代になると倹約令と呼ばれ,元禄時代頃から幕府財政の窮乏が顕著となると,幕府財政の再建を目的にしばしば発令された。特に享保の改革寛政の改革天保の改革の倹約令は有名であり,その内容は衣食住その他日常生活全般にわたっている。しかし,その効果は一時的なものでしかなかった。

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デジタル大辞泉の解説

けんやく‐れい【倹約令】

江戸時代、幕府や大名が公布した倹約強制の法令。財政の緊縮をはじめ、日常生活における分相応の節約を命じたもの。

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百科事典マイペディアの解説

倹約令【けんやくれい】

江戸以前からみられたが,特に江戸時代に幕府や諸藩が出した倹約奨励の法令。領主財政の危機を打開するために財政支出を抑制するためのものと,庶民の奢侈(しゃし)禁止・節約など消費の抑制を規定したものとがある。
→関連項目酒井忠清紅嫌い町触

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世界大百科事典 第2版の解説

けんやくれい【倹約令】

倹約をすすめる,または強制する法令。江戸時代以前にもみられたが,〈倹約〉という漢語が日本で使われるようになったのは中世かららしく,その前後には倹約令にあたるものとして〈過差の制〉が行われていた。江戸時代に入ると,幕府はしばしば倹約令を出し(諸藩なども同様である),それは財政状態の悪化する中期以降はなはだしくなり,ことに享保,寛政,天保の改革時には頻発される。その目的は主として財政緊縮と封建的身分制の弛緩を抑えることにあり,諸大名や旗本以下の武士,農民や町人などに対してそれぞれ発令された。

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大辞林 第三版の解説

けんやくれい【倹約令】

浪費・奢侈しやしを戒める法令。特に江戸時代、幕府・諸大名が発した倹約を強要する布告。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

倹約令
けんやくれい

江戸時代、幕府や諸藩が頻発した質素倹約に関する法令。江戸時代以前には奢侈(しゃし)禁止令を「過差(かさ)の禁」といったが、江戸時代に入って一般に倹約令と称するようになった。江戸幕府は士民に対してきわめて頻繁に質素倹約を命じている。歴代将軍の発した「武家諸法度(しょはっと)」にも倹約の条項があり、農民に対しても1649年(慶安2)の「慶安御触書(けいあんのおふれがき)」に衣食住の節倹に関する細かな規定があった。また町人に対しても、彼らが経済的に実力を伸長した17世紀後半以降、しきりにその奢(おご)りを禁ずる旨の法令が出ている。
 倹約令には単に節約奨励、奢侈禁止を目的とするものと、幕府の財政緊縮を目的とするものとがある。前者は、これによって士農工商の身分秩序を維持し、分限を越えた奢侈を抑えようとするもので、幕初から幕末までほとんど常時発せられた。しかし幕府が禁じた奢侈とは、17世紀後半以降は商品生産の展開による経済の発展、生活の向上によりもたらされたものであったため、その実効性となると甚だ疑問である。一方、財政緊縮を目的とする倹約令は、幕府財政の消長とほぼ並行して享保(きょうほう)の改革(1716~45)以後とくに顕著にみられ、ことに1783年(天明3)に財政緊縮令が出てのちは、7年、5年、あるいは3年間の期限付きで次々に延長され、この法令はほとんど切れ目なく幕末に至っている。概して享保、寛政(かんせい)、天保(てんぽう)の、いわゆる三大改革期は、風俗取締令と絡めて、とくに厳重な倹約令が断行された。諸藩でも藩政改革が行われた際に、藩士や領民に対して倹約令が頻発された。[竹内 誠]

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世界大百科事典内の倹約令の言及

【大奥】より

…しかし3代将軍家光以後歴代の将軍が天皇家・皇族・上級公家から御台所を迎えるようになり,また文治政治の方針が確立して諸事に形式・儀礼の尊重の風がゆきわたるとともに,大奥に京都の公家風が浸透し,諸制度も繁雑なものになり,大奥独特の風俗習慣を形成した。平常の衣服も,御台所をはじめ御目見以上の身分の者は,品質の高下はあったが贅沢な絹物の衣類を用い,結髪の仕方,衣服の色柄なども身分・役柄・季節・式日と平日によって変えるなどし,倹約令の施行なども大奥には及ばないことが多かった。
[幕政と大奥]
 大奥法度にも規定されているように,表の政治に介入することは厳禁されていたが,実際には影響を及ぼしたことも少なくなかった。…

【酒井忠清】より

…しかしこの時期の幕政をみると,近世社会の変質期に入って領主的支配全般の弛緩があらわれ,農民の抵抗も高揚する傾向を示し始めた事態に対応し,幕府主導による領主的支配の強化に少なからず努力している。例えば1668年の倹約令は,朝廷を含めて全社会層を対象とし,諸藩政へも強く反映した点において前後に比をみぬものであり,また大名・諸役人への監察強化も著しい。こういう一連の権力集中強化政策が忠清専権の批判を生んだのであろう。…

※「倹約令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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