会見郡(読み)あいみぐん

日本歴史地名大系 「会見郡」の解説

会見郡
あいみぐん

伯耆国西部を占め、北は美保みほ湾に面する。東は汗入あせり郡、南は日野郡に接し、西は出雲国能義のぎ郡、北西は中海を挟み同国八束やつか郡。現西伯さいはく郡の日吉津ひえづ村・会見町・西伯町および淀江よどえ町・岸本きしもと町の各一部、米子市・境港市にあたる地域で、日野川下流およびその支流法勝寺ほつしようじ川などが形成した沖積平野米子平野とその縁辺丘陵部、北西へ突き出し美保湾と中海を分ける弓浜半島部からなる。

〔古代〕

天平五年(七三三)二月三〇日完成の「出雲国風土記」には「伯耆国郡内くぬち夜見よみの嶋」と記される。「夜見の嶋」は現弓浜半島先端の現境港市域にあたり、奈良時代にはまだ島であったことが判明する。その後日野川の運ぶ砂の堆積によって砂洲が延び、平安時代になって弓浜半島が形成されたとみられる。神護景雲四年(七七〇)六月二五日の持経師位法師恵雲優婆塞貢進文(正倉院文書)に「伯耆国会見郡賀茂郷」とみえる。「和名抄」東急本国郡部では郷名に「安不美」の訓を付しているので、「おうみ」とよんだと思われる。「伯耆国風土記」逸文には「相見郡」と記される。相見郡の名称は古代・中世を通じ会見郡と併用され、近世中期以降ほぼ会見郡として統一された。なお郡名を「あいみ」とよむのが通例となるのも近世以降と推定される。「和名抄」では日下くさか細見ほそみ美濃みの安曇あずみ巨勢こせ蚊屋かや天万てま千太ちた・会見・星川ほしかわ鴨部かもべ半生はにゆうの一二郷を載せ、伯耆国六郡中最も多い。郡家は会見郷に置かれたとみられ、現岸本大寺おおてら大寺廃寺付近とする説、同町坂長の長者原さかちようのちようじやはら付近とする説などがあり、奈良時代から中世初期の建物跡が発見された長者原の長者屋敷ちようじややしき遺跡を郡家と考える説が有力である。「伯耆国風土記」逸文には「相見郡々家西北有余戸里 有粟島」と記される。粟島あわしまは弓浜半島南部の現米子市彦名ひこな町の粟島で、余戸あまるべ里を同所を含む一帯と想定すると、長者屋敷遺跡の北西に位置している。余戸里を現境港市外江とのえ町付近に比定する説もある。

承和元年(八三四)二月三日、会見郡荒廃田一二〇町が嵯峨天皇皇女有智子内親王に与えられ、うち八〇町は嘉祥元年(八四八)八月一六日に仁明天皇皇女親子内親王に与えられた(続日本後紀)。この地は「会見郡路下十一条」にあり、現米子市北東部下郷しもごう付近に比定されている(鳥取県史)。郡内の条里遺構は日野川・法勝寺川流域にみられ、地割は現米子市兼久かねひさ付近の小字と方格地割を基準に復原され、千鳥式と推定された。北限はほぼ五メートルの等高線上で、同所より北部が潟湖あるいは海岸線であったらしい(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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