伯可庄(読み)はかのしよう

日本歴史地名大系 「伯可庄」の解説

伯可庄
はかのしよう

平安時代後期の庄園。治安三年(一〇二三)一〇月五日の極楽寺陳状(石清水文書)に、庄家八ヵ所のうち播磨国三ヵ所として「松原庄・伯可庄・多豆島庄」がみえる。この陳状は門徒でない宮寺司によるこれらの庄園に対しての押妨を停止してほしいと極楽寺が訴えたもので、伯可庄は一一世紀前半までに山城石清水いわしみず八幡宮の宿院極楽寺の庄園として成立していた。しかし保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(同文書)には、極楽寺領として播磨国には蟾原ひきはら庄、松原まつばら(現姫路市)赤穂庄がみえるのみである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android