伴堂村(読み)ともんどむら

日本歴史地名大系 「伴堂村」の解説

伴堂村
ともんどむら

[現在地名]三宅町大字伴堂ともんどう

屏風びようぶ村の南にあたり、南北に通ずる太子たいし道の街村。環濠集落西北赤丸あかまる、その北に南畑みなみはた(かつては屏風村の内)、西には飛鳥川を隔てて伴堂出屋敷がある。

伴堂の小字地名は中世文書にしばしば現れる。承安四年(一一七四)一二月の東大寺文書によると「式下郡西郷十三条三里十二坪南辺字野依」の田一段が米五石で、嘉禄二年(一二二六)一一月には銭五貫文で売られている。永仁二年(一二九四)の大仏灯油料田記録には同じ条里の南より三段目について「一段夕崎字ノヨリ」とあり、この条里は伴堂集落の東方で、小字ノイダ・ノイぐちにあたるであろう。同じ灯油料田の「西十三条三里卅一坪字平田」も伴堂の小字平田ひらたと思われ、建長八年(一二五六)四月一四日の東大寺文書には同じ条里の東より一二段目を「合弐段者字平田」とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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