伴林氏神社(読み)ともばやしじんじや

日本歴史地名大系 「伴林氏神社」の解説

伴林氏神社
ともばやしじんじや

[現在地名]藤井寺市林三丁目

市野山(いちのやま)古墳(允恭天皇陵に治定)の西に位置し、北を古代の大津(おおつ)道が東西に通る。「延喜式」神名帳の志紀郡の項に「伴(トモハ) 林(ヤシノ) 氏(ウチノ)神社」とみえる(同帳九条家本・金剛寺蔵本は「トモハヤシノ」とよむ)。現祭神は高皇産霊神・天押日命・道臣命。旧村社。当社は社名からみると伴林氏が奉斎氏族であったとも推測できるが、伴林氏に関しては、伴林宿禰御薗ら四人に伴宿禰を賜姓したことが「続日本後紀」天長一〇年(八三三)二月三〇日条にみえるくらいで、国郡名を知ることができない。むしろ「三代実録」貞観九年(八六七)二月二六日条に「志紀郡林氏神」が官社に列せられた記事がみえるので、林氏をこの社の奉斎氏族とするのが妥当であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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