日本歴史地名大系 「福知山城下」の解説
福知山城下
ふくちやまじようか
福知山盆地のほぼ中央、西南から長く突き出した丘陵の末端に築かれた福知山城(別名臥竜城)を中心に作られた町で、城の東で西流する由良川が北流する
福知山城の地は中世後期には、この地方に勢力をもった塩見氏の居城があり
城下町建設も光秀の時代に着手されたと思われるが、光秀の統治は三年足らずで終わったから、その具体的様子は不明である。ただ光秀の頃には由良川は東方よりまっすぐに現福知山駅前方辺まで流れ、その西方で流れを北に変えていたが、光秀はそれを城の東北麓で西北流するように変え、城下町の敷地を堤防の西南方に求めたといわれる(丹波志)。そのため城下町は、盆地の中の最も低湿な由良川旧氾濫原にあたり、近年まで市街地の下水排水は大きな問題となっていた。
〔城主〕
天正一〇年六月本能寺の変の後、光秀が失脚すると、福知山城には豊臣秀吉の妻の叔父にあたる杉原家次が二万石で封じられた。しかしまもなく病没。次にこの地方の土豪から出世し、秀吉の重臣となった小野木重勝が三万石の城主となった。関ヶ原の合戦で大坂方にくみした重勝はその後丹後
元和六年(一六二〇)一二月、豊氏は筑後
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報