住吉新村(読み)すみよししんむら

日本歴史地名大系 「住吉新村」の解説

住吉新村
すみよししんむら

[現在地名]加治川村向中条むかいなかじよう

東は上今泉かみいまいずみ村、南は向中条村。寛文一三年(一六七三)の村上御領分組々村数并高付大庄屋付(大滝家文書)では川尻組に属し、延宝九年(一六八一)頃の高反別免割家数人数帳(寛政一二年写、新発田市史資料)には高六四石九斗余・反別五町四反余、家数八・人数三八とある。元禄郷帳には向中条村枝郷と記され、村高は三一石余。宝永七年(一七一〇)幕府領、享保九年(一七二四)三日市藩領となり、同一三年の紫雲寺潟廻地先永荒覚(神田礼次郎氏蔵)によれば、高五九石六斗余が当村に荒地として引渡されている。


住吉新村
すみよししんむら

[現在地名]魚津市大光寺だいこうじ

かど川右岸にあり、東は大光寺村、角川対岸は住吉村。慶安元年(一六四八)の村立てとされる(出来新村・退転村記申帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高二八石・免五ツ一歩(三箇国高物成帳)。延宝七年(一六七九)に一〇石の検地引高があり、一方文化一四年(一八一七)など二度の手上高があって天保一一年(一八四〇)の打銀高二三石(「高免帳」杉木家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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