日本歴史地名大系 「住用間切・住用方」の解説
住用間切・住用方
すむゆうまぎり・すむゆうほう
大島の中央部南側に位置する。スミヨウともいう。大島七間切の一つ。琉球王国時代に創置されていたと考えられ、近世の一時期は二方に区分されていた。現在の住用村にあたる地域。
正保琉球国絵図に「住用間切」とみえ、スムユウの訓が付され、間切高九四七石余とあり、「かねく村」が記される。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳でも「住用間切かねく村」として田方九二〇石余・畠方五石余、桑役二〇石余とある。元禄郷帳でも間切高九四七石余と記される。「大御支配次第帳」によれば享保内検の高一千二一六石余。「三州御治世要覧」では管轄村は一四ヵ村。「大島私考」にはスムユウはスムヨウの転訛と記されている。村数は一四ヵ村となっているが、ほかの間切と異なって一間切一方とある。方の高頭一千二一六石余で、うち畑高一斗三升二合余が蔵地役屋敷地、納米一千二〇五石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報