朝日日本歴史人物事典 「佐々木只三郎」の解説
佐々木只三郎
生年:天保4(1833)
幕末維新期の京都見廻組与頭で,清河八郎,坂本竜馬殺害の指揮者といわれる。会津藩(福島県)藩士佐々木源八の3男。名ははじめ泰昌。幕臣佐々木弥太夫の養子になり高城と改名。会津藩士手代木直右衛門は実兄。文久3(1863)年清河ら上洛浪士組の取締並出役。上洛後,清河らと共に帰府。江戸麻布赤羽橋で清河斬殺の指揮をとる。翌元治1(1864)年京都見廻組に転じて再上洛。竜馬殺しの指揮をとったといわれる。明治1(1868)年の鳥羽・伏見の戦で被弾。大坂から和歌山の紀三井寺へ後送され,同所にて死去。<参考文献>市居浩一「京都見廻組の概要」(『霊山歴史館紀要』2号)
(釣洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報