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幕末の志士。庄内藩領出羽国東田川郡清川村の郷士斎藤治兵衛の三男。地名をとって清川正明・清川八郎と称し,のち大谷雄蔵・日下部達三の変名を用いた。18歳で江戸に出て,東条一堂,安積艮斎,千葉周作らの門に入って文武を修めた。一方で九州から北海道にわたる旅をして見聞を広め,江戸神田お玉ヶ池に塾を開き子弟の教育にあたった。1860年(万延1)桜田門外の変後に志士となり,各地の志士と交わる。江戸における挙兵計画が幕府に知られて追われる身となるが,各地に潜行しつつ活動を続けた。62年(文久2)九州の志士と交わり島津久光の上洛を利用した挙兵を画策するが,寺田屋事件で失敗して江戸に帰る。翌年春,幕府の浪士募集に応じて浪士隊入りし再び上洛するが,尊攘派と結んだため江戸に戻され新徴組に編入された。63年4月13日幕吏佐々木只三郎らにより麻布一ノ橋にて暗殺された。
執筆者:高木 俊輔
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〘 名詞 〙 ( 牽牛と織女の別れを悲しむ涙雨の意 ) 陰暦七月七日に降る雨。せいるいう。《 季語・秋 》[初出の実例]「歳時雑記曰、〈略〉七日雨、則曰二洒涙雨一」(出典:俳諧・滑稽雑談(1713)七...