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清川八郎 キヨカワハチロウ

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デジタル大辞泉の解説

きよかわ‐はちろう〔きよかはハチラウ〕【清川八郎】

[1830~1863]幕末の志士。庄内藩の郷士の子。はじめ尊王攘夷運動に参加したが、寺田屋事件に失望して幕府の浪士組結成に参加。近藤勇らと対立して暗殺された。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

清川八郎【きよかわはちろう】

幕末の志士。出羽(でわ)庄内藩の郷士の子。江戸で文武を学び,全国を遊歴ののち江戸で開塾。桜田門外の変後は志士として奔走,1861年江戸での挙兵計画が洩れ,潜行を余儀なくされる。
→関連項目新撰組千葉周作山岡鉄舟

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清川八郎 きよかわ-はちろう

1830-1863 幕末の武士。
文政13年10月10日生まれ。出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)郷士。安積艮斎(あさか-ごんさい)らに儒学を,千葉周作に剣術をまなぶ。文久3年幕府の浪士組にくわわり京都で活動するが,攘夷(じょうい)を主張して江戸にもどされる。同年4月13日麻布(あざぶ)一之橋で幕臣の佐々木只三郎(たださぶろう)らに暗殺された。34歳。本姓は斎藤。名は正明。姓は清河ともかく。著作に「西遊草」「潜中紀事」。
【格言など】聖堂より大豪傑の出たることなし(父あての書簡)

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

きよかわはちろう【清川八郎】

1830‐63(天保1‐文久3)
幕末の志士。庄内藩領出羽国東田川郡清川村の郷士斎藤治兵衛の三男。地名をとって清川正明・清川八郎と称し,のち大谷雄蔵・日下部達三の変名を用いた。18歳で江戸に出て,東条一堂安積艮斎千葉周作らの門に入って文武を修めた。一方で九州から北海道にわたる旅をして見聞を広め,江戸神田お玉ヶ池に塾を開き子弟の教育にあたった。1860年(万延1)桜田門外の変後に志士となり,各地の志士と交わる。江戸における挙兵計画が幕府に知られて追われる身となるが,各地に潜行しつつ活動を続けた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

きよかわはちろう【清川八郎】

1830~1863) 幕末の志士。出羽国の郷士。江戸で幕府の浪士募集に応じ、浪士隊に入り上洛。佐幕派の近藤勇らと対立し江戸に戻され新徴組に編入、間もなく暗殺された。

出典|三省堂
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