佐久山宿(読み)さくやまじゆく

日本歴史地名大系 「佐久山宿」の解説

佐久山宿
さくやまじゆく

[現在地名]大田原市佐久山

奥州街道宇都宮より五番目の宿で、喜連川きつれがわ宿の北約二里三〇町余、大田原宿の南約一里三二町余の地にある。宿場としての機能は、大田原宿同様寛永四年(一六二七)以降整えられたと考えられる。元禄期(一六八八―一七〇四)には宿内三〇〇軒に達し「花の佐久山御殿の山よ、春日桜で市をなす」とうたわれるような繁盛ぶりであったという。宝暦年中(一七五一―六四)町並(井上家蔵)によれば、東から入った奥州街道は、いったん北へ折れてすぐ西に折れ、真っすぐ西進して禅宗蘭性らんしよう寺付近で北へ折れて大田原宿へ向かっていた。喜連川口にはまえ坂という急峻な坂があり、大田原口にはほうき川が流れ徒渉しなければならなかったから、宿自体が天然の要害に位置していたといえよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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