朝日日本歴史人物事典 「佐伯景弘」の解説
佐伯景弘
平安末期の安芸国厳島神社の神主。古代の佐伯直の子孫。平景弘とも。厳島神社を信仰する平清盛と結び,志道原荘,壬生荘などを獲得し厳島神社領の拡大をなしとげ,嘉応1(1169)年には荘厳な厳島社殿の造営に成功。中央政界でも,厳島神社へ高倉天皇祈祷料,高倉天皇女御徳子(清盛娘)の御衣奉納に使者を務めるなど,手腕を振るった。掃部允,民部大丞を経て寿永1(1182)年ごろ安芸守となる。同2年従四位下。安芸国を拠点とする,平家の瀬戸内地域支配の要となった。壇の浦の戦で子景信と共に降人となるが許され,のち神器の宝剣の捜索に当たっている。しかしこのときには,すでに昔日の勢威は失われていた。<参考文献>上横手雅敬『日本中世政治史研究』,『広島県史/原始古代』
(正木喜三郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報