佐伯景弘(読み)さえき かげひろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐伯景弘」の解説

佐伯景弘 さえき-かげひろ

?-? 平安後期-鎌倉時代の神職
安芸(あき)(広島県)厳島(いつくしま)神社の神主平清盛の安芸守就任で結びつきをつよめ,同社領をひろげる。嘉応(かおう)元年(1169)社殿造営。寿永元年ごろ安芸守。源平の戦いでは平氏とともに行動。平氏滅亡の際処罰をまぬかれ,文治(ぶんじ)3年壇ノ浦にしずんだ神器の宝剣の探索を命じられた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の佐伯景弘の言及

【安芸国】より

…1164年(長寛2)に平氏一門が同社に納めた《平家納経》は当時の面影を今に伝える。厳島神社神主佐伯景弘はまた安芸国内の在地勢力を代表する政治的地位にあり,ついには安芸守となったが,安芸国内の在地領主たちは佐伯景弘を媒介として平氏や中央権門寺社に所領を寄進し,平氏の有力な勢力基盤となった。【坂本 賞三】
【中世】
 源平内乱期,平氏と厳島神主佐伯景弘の強い結びつきに対し,他の在地領主層は反発して源氏に味方した者が少なくなかった。…

【佐伯氏】より

…安芸の佐伯氏は国造に連なる雄族として古くより厳島神社の祭祀権を担い,律令制下では佐伯郡司に任じられ,代々厳島社神主を世襲するとともに,一族を安芸国衙に分出させる(在庁官人田所氏)など,勢力を築いた。平安末期,平氏の後楯を得てかつてない権勢を振るった厳島社神主佐伯景弘は,同氏を代表する人物であった。承久の乱後,神主の地位は幕府御家人藤原氏にとってかわられるが,その後も一族は社家として存続をみた。…

※「佐伯景弘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む