佐保田庄(読み)さほたのしよう

日本歴史地名大系 「佐保田庄」の解説

佐保田庄
さほたのしよう

簡要類聚鈔(京都大学蔵一乗院文書)の「一乗院家御領所」のうちに「佐保田庄大后寺領也」とある。これによると、鎌倉中期には佐保田庄は興福寺一乗院領となっていたことがうかがえる。もと、大后たいこう(現法蓮佐保田町辺り)領であったと考えられる。おそらく、同寺が興福寺に末寺化し、寺領を寄進するに及び、当庄預所になったと推測される。その後、一乗院領になったものであろう。下って、「大乗院雑事記」の文明七年(一四七五)四月五日条には「本願以来一乗院御領佐保田以下十二ケ所在之」とみえ、これによると佐保田庄は一乗院根本所領の中心荘園としてあげられている。これは一乗院にとって最重要な荘園と考えられていたことを意味するものであろう。それは当庄が同院にとって近郊荘園であったのみならず、藤氏長者らの春日社参の「御幸道(参詣道)とも関係したことによるものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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