御幸道(読み)おみゆきみち

日本歴史地名大系 「御幸道」の解説

御幸道
おみゆきみち

中世以来甲斐国最大の神事である御幸祭に際し、その神輿が通行する経路。御幸祭とは、四月第二亥日に実施される夏御幸、一一月第一亥日に実施される冬御幸の総称で、甲斐国一宮浅間神社(現一宮町)、二宮美和みわ神社(現御坂町)、三宮国玉くだま神社(現甲府市玉諸神社)が合同で執り行った、洪水による堤防破壊を防ぎ河川氾濫を鎮める川除祭である。伝承によれば、天長二年(八二五)四月に釜無川が大氾濫を起こし甲府盆地が大きな被害に見舞われた際に、淳和天皇が勅使を派遣し、奉幣竜王りゆうおう(現竜王町)で祀り川除けを祈願したところ効果があった。以後これが神事として定例化したものが御幸祭であるといわれ、釜無川氾濫の原因でもあった釜無川に合流する大河川を御勅使みだい川とよぶようになったと伝える(甲斐国志・社記)

御幸が確実な史料にみえるのは弘治三年(一五五七)一二月二日付の武田晴信社中条目(浅間神社文書・甲斐二宮神社文書)で、武田晴信は一宮・二宮・三宮に対し、まず社壇造営を粗略なく実施すること、宮中の掃除などを毎日二度ずつ行うことなどを指示するとともに、当社の神官・社家衆が一年間に夏・冬の御幸の際と年始の挨拶の三度、甲府の武田氏館に出仕することを定め、その際に神主が着ける装束や従者についての規定を設けるとともに、徳役銭の免除を通達している。この条目は三宮宛のものは残されていないが、かつて存在したことは確実であろう。その後二宮に残る「天正年中二宮祭礼帳」のなかに「夏御幸」「冬御幸」「二度之御幸」などの記事が多くみられ、二宮神領の石和いさわ国衙こくが(現御坂町)坪井つぼい(現一宮町)平井ひらい四日市場よつかいちば(現石和町)、二宮(現御坂町)などの諸郷がその祭礼役を負担していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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