日本歴史地名大系 「佐俣村」の解説 佐俣村さまたむら 熊本県:下益城郡中央町佐俣村[現在地名]中央町佐俣北を津留(つる)川、西を釈迦院(しやかいん)川が流れ、小莚(こむしろ)村の二俣(ふたまた)で合流。合流地には二俣二橋とよぶ石造眼鏡橋が二基架かる。文政五年(一八二二)の架設で橋は互いに接し、しかも直角に架けられている。津留川の上流には同一〇年架設の眼鏡橋古馬門(こまかど)橋もある。東・北・西に水系を帯びるが、水の便は良くなかった。東は今(いま)村(現砥用町)、西は小莚(こむしろ)村、南は小岩野(こいわの)村・大岩野(おおいわの)村、北は上益城郡東寒野(ひがしさまの)村(現甲佐町)に至る。佐亦村とも書く。建長元年(一二四九)九月二日の北条時頼雑掌奉書(阿蘇家文書)に「□(甲)佐社領佐俣中山久□□□□(木山已上)三ケ所事」とある。字中原(なかはら)に所在する佐俣阿蘇神社は明治以前は年禰(としね)神社といい、前は字村上(むらのうえ)にあり、その以前は小莚村にあったといわれ、永享五年(一四三三)の勧請で阿蘇社の末社である(国誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by