日本歴史地名大系 「佐方保」の解説 佐方保さがたほ 愛媛県:越智郡菊間町佐方保伊予国野間(のま)郡にあった京都上賀茂(かみがも)神社の荘園。現菊間町に含まれる佐方・種(たね)両村および現大西(おおにし)町域に含まれている別府(べふ)村の三ヵ村、すなわち近世に佐方郷とよばれた地域が荘域であったと推定される。寿永三年(一一八四)四月二四日の源頼朝の下文案(賀茂別雷神社文書)に佐方保の名がみられる。これより先、寛治四年(一〇九〇)七月一三日に堀河天皇が賀茂上下社へ不輸租田それぞれ六〇〇余町を寄進、供料田にしているが(百錬抄)、この時に佐方保が上賀茂社領になったものと思われる。鎌倉末期頃の佐方保の耕地面積は二四町一二〇歩であった(御裳濯川和歌集紙背文書)。南北朝―室町期の佐方保については史料的に明らかでないが、戦国末期、当荘の年貢(公用銭)は野間郡来島(くるしま)城(現今治市)城主来島通総が代官職として請け負っていたようである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by