京都市北区上賀茂本山に鎮座。通称上賀茂神社。祭神は賀茂別雷神。この神は大和の葛木山に故地をもつ賀茂氏の神である賀茂建角身(たけつのみ)命の娘玉依媛(たまよりひめ)命と山代の乙訓(おとくに)社の雷神との間に生まれた若き雷神であったと伝える。律令政府は698年(文武2),702年(大宝2),738年(天平10)などたびたびにわたり,賀茂祭(葵(あおい)祭)の群衆と騎射のことを制限ないし禁止した。また711年(和銅4)には国司の臨検を命じて統制にのりだし,806年(大同1)になると賀茂祭は毎年4月の中酉日に勅祭をもってとりおこなわれる朝廷の祭祀になった。810年(弘仁1)には斎院をおき,嵯峨天皇皇女有智子内親王を斎王として祭りに奉仕させるようになって朝廷祭祀としての形をととのえ,伊勢神宮につぐ尊崇をうけた。後鳥羽上皇のとき,神主賀茂能久が承久の乱に上皇方について参戦し,斎院もこのとき廃絶した。社領としては大化のころ封戸14戸,神田1町8反が寄せられたと伝えられるが,785年(延暦4)には愛宕郡内の封戸10戸が,865年(貞観7)には山城国の神田5反が,940年(天慶3)には封戸10戸が寄せられた。1018年(寛仁2)に愛宕郡内の8郷が賀茂社に寄せられ,このうち賀茂,小野,大野,錦部の4郷を別雷社が領有した。4郷はやがて再編成されて,河上,岡本,大宮,小山,中村,小野の6郷となり,賀茂境内六郷といわれて,中世を通じて社領の根幹をなした。このほか1090年(寛治4)には不輸田600余町が寄進され,阿波国福田荘,若狭国宮河荘,加賀国金津荘,近江国安曇河御厨などがおかれた。その後も社領が増加し,1184年(元暦1),源頼朝は42ヵ所の賀茂別雷社領を安堵した。別雷社は賀茂氏人集団によって維持され,氏人のなかから神主がえらばれて祭祀と社領を管轄した。境内六郷には往来田制度がしかれ,氏人のうち140人が境内の田地を独特の割りかえ方式によってながく保持した。豊臣秀吉は2572石を安堵し,江戸幕府にひきつがれた。1871年(明治4)に官幣大社となった。本殿と権殿は1864年(元治1)の造替で国宝,ほかに1628年(寛永5)の建築が多く,重要文化財になっている。現行の祭礼は葵祭のほか御棚会,夏越祓,相撲神事などである。
→賀茂御祖(みおや)神社
執筆者:大山 喬平
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京都市北区上賀茂本山(もとやま)に鎮座。通称上賀茂神社。賀茂別雷神を祀(まつ)る。神武(じんむ)天皇の代に本社北北西の神山(こうやま)に降臨、鎮座と伝える古社。桓武(かんむ)天皇の平安遷都以来、賀茂御祖(みおや)神社(下鴨(しもがも)神社)とともに皇室守護第一の神とされ、斎院を設け、勅祭賀茂祭が行われ、山城(やましろ)国一宮(いちのみや)とされた。明治の制で官幣大社。本殿、権殿(ごんでん)は国宝。1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。例祭5月15日は葵祭(あおいまつり)で名高い。
[鎌田純一]
上賀茂神社・上社とも。京都市北区上賀茂本山に鎮座。式内社。二十二社上社。賀茂御祖神社(下社)とともに山城国一宮。旧官幣大社。祭神は賀茂別雷神。下社とあわせて賀茂社と総称されることが多い。祭神は賀茂氏の祖の玉依(たまより)姫と乙訓坐火雷神との間の子とされる。本来は賀茂氏の氏神で,祭礼賀茂祭は山城国の国祭として行われていた。平安遷都により京の東の鎮守とされ,807年(大同2)正一位を授かった。奈良時代から神戸(かんべ)が与えられ,1017年(寛仁元)にはのちの賀茂六郷の基礎となる賀茂・小野・錦部・大野の4郷が朝廷から施入され,11世紀末には荘園・御厨(みくりや)が整備された。例祭は5月15日(以前は4月中酉の日)で,下社同様葵祭として知られ,祭礼の3日前には御阿礼(みあれ)の神事が行われる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…賀茂祭ともいい,京都の賀茂別雷(わけいかずち)(上賀茂)神社,賀茂御祖(みおや)(下賀茂,下鴨)神社の両社の例祭。祭りに参加する斎院をはじめ勅使らが葵の蔓(かずら)を身につけることからこの名を称した。…
…賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(現,京都市北区の上賀茂神社)の氏人らが,同社周辺の諸郷において与えられていた給田。蔣池直一《南柯記》(1814)が鎌倉末期の神主賀茂経久の日記を引いて記すところでは,1303年(嘉元1)に始まるという。…
…中世賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)の膝下神領であった河上・岡本・中村・小山・大宮・小野の6ヵ郷の総称。現,京都市北区・左京区のうち。…
…京都の上下賀茂社,すなわち賀茂別雷(わけいかずち)神社,賀茂御祖(みおや)神社の遷宮についての記録の総称。賀茂社の遷宮は,社伝で680年天武天皇のときに始まるというが,平安時代よりの記録をみると,およそ20~30年ごとにあり,なかの1711年(正徳1)《正徳造営遷宮記》,41年(寛保1)《賀茂下上社正遷宮以下雑記》など,いずれも木造始,立柱,上棟などの行事とともに,諸入用,普請奉行,また殿内調度などまで詳記している。…
…京都市北区上賀茂鎮座の賀茂別雷(わけいかずち)神社で行われる5月5日の競馬神事。〈かものくらべうま〉ともいう。…
…現愛媛県越智郡菊間町のうち。賀茂別雷(かもわけいかずち)神社領。鎌倉時代末のものと推定される伊予国内宮役夫工米未済所々注文に〈菊万庄百三十町〉と規模を記す(《輯古帖》所収御裳濯川和歌集紙背文書)。…
…立荘年次・成立事情は不詳。1184年(寿永3)4月の源頼朝下文(案)が,当荘を含む賀茂別雷神社領42ヵ所に対する武士の狼藉停止を命じているのが初見。鎌倉後期には同社社務が領家・預所職一円知行権を相伝している。…
…これは熊野神社系の本殿に多く用いられている。
[流造]
京都の鴨川の流れに沿って鎮座する賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂)と賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨)は,平安遷都後,王城鎮護の神として崇敬を集めたが,歴史に登場するのは7世紀末からである。両社の本殿形式,規模はほとんど同じで,切妻造平入りの前方の屋根をそのまま延長して庇とする(図5)。…
…毎年,古くは旧暦4月の中の午の日,現在は5月12日の夜,京都市北区の賀茂別雷(かもわけいかずち)(上賀茂)神社で行われる,古来の神迎えの神事。御阿礼祭ともいう。…
…若狭国遠敷(おにゆう)郡(現,福井県小浜市)の荘園。1090年(寛治4)朝廷の寄進により賀茂別雷(かもわけいかずち)神社領として立荘した。1265年(文永2)の若狭国大田文に見える〈賀茂庄三十五町〉がこれに当たる。…
※「賀茂別雷神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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