佐木郷
さきごう
現川本町西部の北佐木・南佐木一帯に比定され、佐紀とも記される。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に邑智郡の公領として「さきの郷 八丁二反六十卜 本郷 二丁八反」とみえる。しかし、鎌倉末期頃から北側および西側で境を接する大家庄の地頭大家氏がこの地域に勢力を拡大して当郷を取込んだようで、応安八年(一三七五)三月六日には荘厳寺に大家庄四ヵ村のうちの「佐紀下・白地」の大般若経免田八段が打渡されている(「経氏・盛光連署打渡状」荘厳寺文書)。この四ヵ村は三原郷四ヵ村ともいわれ、かつての佐木本郷が再編成されて新たに三原郷が成立し、佐木はそのなかに組込まれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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