川本町(読み)かわもとまち

日本歴史地名大系 「川本町」の解説

川本町
かわもとまち

面積:二一・七六平方キロ

明治二九年(一八九六)成立時の大里郡南端の中央に位置し、現在東は江南こうなん町、北東は熊谷市、北は深谷市、西は花園はなぞの町、南西は寄居よりい町、南は比企郡嵐山らんざん町に接する。荒川が町域を南北に分断して東流、北岸は櫛挽くしびき台地と荒川新扇状地、南岸は江南台地にあたる。南岸は旧本畠ほんぱた村地域で、吉野よしの川が北東流して本田ほんだで荒川へ注ぐ。北岸の旧武川たけかわ村地域では西端を櫛挽排水路、東部を武川排水路が南流し、前者は田中たなか、後者は菅沼すがぬまでそれぞれ荒川に注ぐ。国道一四〇号とその北側の同バイパスが並行して武川地域を東西に走り、同じく東西に走る秩父鉄道は菅沼で国道一四〇号と交差し、田中に武川駅、明戸あけとに明戸駅がある。本畠地域の西端をかすめて南東から北西へ関越自動車道が通る。町域中央を南北に県道深谷―嵐山線が縦断し、荒川に植松うえまつ橋が架かる。県道としてほかに富田とみだ―熊谷線、本田―小川おがわ線、熊谷―児玉線がある。遺跡は荒川北岸の河岸段丘上、および南岸の河岸段丘上と江南台地上に分布する。旧石器時代の遺跡としては、台地北縁部の吉野川沿いの宮入みやいり遺跡で黒曜石製の槍先形尖頭器が採集されている。白草しらくさ遺跡では、北方系の湧別技法で製作された細石刃・細石刃石核原形・スキー状削片・荒屋型彫刻刀形石器・削器・掻器・礫器などが大量に出土。


川本町
かわもとちよう

面積:一〇六・三九平方キロ

邑智郡の北西部に位置し、東は邑智町・大和だいわ村、北は大田市および邇摩にま温泉津ゆのつ町、西は桜江さくらえ町、南は瑞穂みずほ町・石見町に接する。ほぼ中央を北東から南西に江川が貫流、右岸に祖式そじき川・奥三俣おくみまた川・木谷きだに川、左岸矢谷やたに川・にごり川の各支流が急峻な渓谷を刻んでいる。南東境界には高堀こうぼり(七一八・一メートル)大平おおひら(五九四・六メートル)よもぎ(六三五・八メートル)などの高山が続き、西境にかけては尾部志おべし(四四六・四メートル)帆柱ほばしら(四〇四・三メートル)まる(四八〇メートル)の山々が連なる。北東にわずかに開ける高原と江川両岸および小河川峡谷に沿う平坦地に耕地が開けるが、町域の八割以上は山林。江川左岸沿いにJR三江線が通り、木路原きろばら・石見川本・因原いんばらの三駅がある。


川本町
かわもとちよう

[現在地名]大正区三軒家東さんげんやひがし一丁目

船津ふなつ町の南に続く町。「天保町鑑」には「木津川筋勘介じま中之丁」とみえる。貞享元年(一六八四)天満てんま二丁目(現北区)の浜側の町屋に与えられた替地(→船津町。大坂三郷天満組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数一三・役数四役と八分六厘三毛役で、年寄は茜屋庄左衛門。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川本町」の意味・わかりやすい解説

川本〔町〕
かわもと

島根県中部,江川中流域の町。 1927年町制。 55年川下,三原,三谷,大代の4村と合体。 56年祖式村の一部を編入。かつては石見銀山の運搬路で河港町,市場町として発展。古くからの河川交通の中心地で,付近にはたたら製鉄に従事する集落が多かった。現在は邑智 (おおち) 郡の中心として県の出先機関が多い。米作のほか清酒,木製品,和紙などを産する。 JR三江線,国道 261号線が通じる。面積 106.43km2。人口 3248(2020)。

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