日本歴史地名大系 「三原郷」の解説 三原郷みはらごう 高知県:幡多郡三原村三原郷江戸時代、現三原村域にあった狼内(おかみうち)村・上長谷(かみながたに)村・下長谷村・芳井(よしい)村・宮(みや)ノ川(かわ)村・来栖野(くるすの)村・三原村(柚ノ木村ともいう。三原郷本村)・皆尾(みなお)村・弘野(ひろの)村・亀(かめ)ノ川(かわ)村・下(し)タ切(ぎり)村を総称し、三原村に郷大庄屋がおり、各村には庄屋が置かれていた。郷内を幡多郡南部の以南(いなん)と中(なか)村(現中村市)をつなぐ街道が三崎(みさき)(現土佐清水市)から今(いま)ノ山を越えて柚(ゆ)ノ木(き)・狼内を経て森沢(もりさわ)坂から中村に通じ、街道筋の柚ノ木と上長谷には番所が置かれた。応徳二年(一〇八五)一一月一二日付の福良専当外二名連署堺定書(安芸文書)に「永代申分申くしさかい(公事堺カ)の事」として「みわりく□(しカ)はおくろ山の川頭をさかい、ふとおゝたゆ二郎おゝのはの川をさかう、やのゝ大郎のかみわきこさこおさかう、まけ川口の神たさかう、まつおゝかわかさりさかいて、おくろ山内お、(下略)」とみえ、文中「みわり」は三原のことと考えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by