大家庄(読み)おおえのしよう

日本歴史地名大系 「大家庄」の解説

大家庄
おおえのしよう

古代の邇摩郡大家郷(和名抄)の郷名を継承した摂関家(九条家)領庄園。現温泉津ゆのつ町・仁摩にま町全域と、現大田市五十猛いそたけ町・大屋おおや町・祖式そじき町・大代おおしろ町など西部域、現江津市波積町北はづみちようきた波積町本郷はづみちようほんごう波積町南はづみちようみなみなど東部域および現邑智おおち川本かわもと町と現同郡桜江さくらえ町の一部を含む一帯に比定され、広大な領域を誇る。大宅とも記す。

「玉葉」安元二年(一一七六)一一月三〇日条に「今日頼輔朝臣、給女院御領石見国大宅庄可知行之庁下文」とみえ、女院とは関白藤原忠通の女聖子(皇嘉門院)のことで、皇嘉門院領の当庄が藤原頼輔(藤原兼実の岳父)に与えられている。皇嘉門院は、治承四年(一一八〇)五月一一日に当庄を甥の藤原(九条)良通に譲った(「皇嘉門院惣処分状」九条家文書)。元久元年(一二〇四)四月二三日には良通の父九条兼実が当庄などを宜秋門院(兼実女任子)に、一期の間譲渡後は孫の九条道家に与えるよう申置いている(「九条兼実置文」同文書)。暦仁元年(一二三八)一二月一四日兼実の遺誡により良平(良通の弟、頼輔の孫)が建立した藤原(九条)家の祈願寺成恩じようおん(現京都市南区)に寄進された(「藤原良平施入状」門葉記)。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に「おうゑのしやう 九十八丁九反六十卜」とみえ、本郷東ほんごうひがし(大家庄東郷、現大田市)二二丁七反、西にし(現温泉津町)一五丁二反、温泉ゆの(現同上)八丁四反半、祖式(現大田市)八丁七反小、福光ふくみつ(現温泉津町)一二丁三反大、宇福うふく(現仁摩町)三丁三反小、佐摩さま五丁二反六〇歩・三久須みくす二反三〇〇歩・白坏しろつき四丁二反三〇〇歩・福原ふくはら(以上現大田市)一丁五反、稲富いなとみ(現江津市)八丁五反半という多数の単位所領の集合体から成り立っている。


大家庄
おいのしよう

現朝日町大家庄おおいえのしようを遺称地とする。成立は早く、応和元年(九六一)六月五日には故藤原師輔によって子息尋禅に譲られていることから(「妙香院庄園目録」華頂要略)、それ以前に藤原氏領となった庄園であることがわかる。永祚二年(九九〇)二月一三日尋禅死去に際して延暦寺妙香みようこう院に施入された(「尋禅遺誡」門葉記)。鎌倉時代は史料が見当らず様相は不明であるが、室町時代には幕府権力と関係の深い庄園であった。南北朝期の幕府草創の頃には丹後国・但馬国・因幡国などの守護を歴任した今川頼貞当地を管掌していたらしいが(今川家古文書写)、長くは続かなかったと思われる。応永一九年(一四一二)幕府は越中国以下五ヵ国に東寺造営料棟別銭を賦課した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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