佐東郡・佐西郡(読み)さとうぐん・ささいぐん

日本歴史地名大系 「佐東郡・佐西郡」の解説

佐東郡・佐西郡
さとうぐん・ささいぐん

古代の佐伯郡は平安時代後期に東西の二郡に分割されたらしい。安芸郡が安南あなん安北あんぽくの二郡に分れたのと同時期と推測される。仁平二年(一一五二)三月八日付の平行兼私領田畠等譲状(新出厳島文書)に「合弐拾肆町 在佐東郡内八木村」とあるのが、それを示す早い例であろう。

佐東郡は太田おおた川とやす川の流域を主要郡域とし、それら河川の河口付近では平安末期から上流域にあった荘園倉敷が設置された。鎌倉時代には安芸守護武田氏の居城銀山かなやま(跡地は現広島市安佐南区)が築かれ、以後室町時代まで政治の拠点ともなった。戦国時代には、河口には川の内衆とよばれる武士団がいて活動を展開。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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