倉敷(読み)クラシキ

デジタル大辞泉 「倉敷」の意味・読み・例文・類語

くらしき【倉敷】[地名]

岡山県南部の市。江戸時代蔵米の積み出し港として発展。明治以後は繊維業を中心に工業化大原美術館や考古館・民芸館などがある。南部の水島地区は臨海工業地帯。平成17年(2005)8月、船穂町真備町を編入。人口47.5万(2010)。

くら‐しき【倉敷】

倉敷地」の略。
倉敷料」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「倉敷」の意味・読み・例文・類語

くら‐しき【倉敷・蔵敷】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. くらしきち(倉敷地)」の略。
      1. [初出の実例]「以尾道村田畠伍町大田御領之倉敷」(出典:高野山文書‐嘉応元年(1169)一一月二三日・後白河院々庁下文)
    2. くらしきりょう(倉敷料)
      1. [初出の実例]「春教房米算用被済了、蔵敷九百廿文来了」(出典:多聞院日記‐永祿一一年(1568)三月六日)
  2. [ 2 ] ( 倉敷 ) 岡山県の南部の地名。中世以降、倉敷川の河港として発達。江戸時代は天領となり、備中、美作、讚岐の三か国の物資集散地。明治二一年(一八八八)以降、近代紡績工業が発達。現在は水島臨海工業地域に石油化学、鉄鋼、機械などの重化学工業が立地。大原美術館、民芸館、考古館などがある。市南部児島地区には、四国と繋ぐ瀬戸大橋がある。昭和三年(一九二八)市制。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「倉敷」の意味・わかりやすい解説

倉敷(市)
くらしき

岡山県南部にある市。高梁(たかはし)川下流域の岡山平野西部と、児島(こじま)半島西部からなる。岡山市の西に隣接する。1928年(昭和3)市制施行。1930年福田村の一部、1944年中洲(なかす)町、1950年(昭和25)粒江(つぶえ)村、1951年菅生(すごう)、中庄(なかしょう)、帯江(おびえ)の3村、1952年豊洲(とよす)村の一部、1953年西阿知、連島(つらしま)、福田の3町、1954年藤戸町を編入。1967年高梁川右岸の玉島市、児島半島西部の児島市と対等合併した(自治地名は倉敷市)。さらに1971年庄村、1972年茶屋(ちゃや)町、2005年(平成17)船穂(ふなお)、真備(まび)の2町を編入した。2002年には中核市に移行。現在は倉敷、児島、玉島、水島の4中心からなる。面積は355.63平方キロメートル、人口47万4592(2020)。

[由比浜省吾]

歴史

古代、平野の大部分は海であったが、高梁川の堆積(たいせき)作用によりしだいにデルタが形成された。中世には万寿荘(ますのしょう)、大市荘(おおちのしょう)などの荘園が置かれた。戦国時代の領主交替を経て16世紀後半に宇喜多(うきた)氏が高梁川以東を領有、干潟開墾と八ヶ郷用水整備がなされ、平安時代には本土と児島間の要路であった藤戸の瀬戸も17世紀初期には陸化し、児島半島となった。江戸時代には天領のほか、岡山、松山(高梁)、成羽(なりわ)、新見(にいみ)、丹波(たんば)亀岡(かめおか)の諸藩や旗本の領地に分割された。1642年(寛永19)倉敷備前(びぜん)、備中(びっちゅう)、讃岐(さぬき)の幕府領を統轄する代官所が置かれ、以来、備中の政治、経済の中心となった。17世紀前半に大高地区と西阿知新田などが開かれ、その後玉島付近、茶屋周辺、福田新田などが次々に開発された。玉島は松山藩の外港であり、児島の通生(かよう)荘の下津井(しもつい)、田之浦(たのうら)、吹上(ふきあげ)などは瀬戸内海の重要な港であった。児島の味野(あじの)は江戸時代後期から塩田で知られた。

[由比浜省吾]

産業

江戸時代には倉敷代官所わきの倉敷川沿岸に蔵屋敷や問屋が並ぶ商業都市となった。これが地名の由来である。新田地帯の綿作を背景に児島では19世紀の初頭から織物業がおこり、明治になって倉敷、下(しも)村(児島)、玉島に近代紡績業が成立した。なかでも1888年(明治21)創立の倉敷紡績所(現、倉敷紡績)の発展は大きい。綿作衰退後はイグサが特産品になったが、これも1960年代以降の工業化、都市化に押されて著しく減少した。農業は米作のほかに果樹、野菜栽培がみられる。とくに船穂地区ではブドウ、モモの栽培が盛ん。水産業は漁場の狭隘(きょうあい)化と海水汚染のため漁獲量は減少傾向にある。下津井は歴史の古い漁村でもあり、タイやタコの漁獲で知られた。工業は繊維工業のほかに玉島に船舶用機関工場が立地し、第二次世界大戦末期に水島に航空機工場が置かれ、戦後は自動車工場に転換した。高度経済成長期には児島半島西岸から高梁川河口右岸にかけての浅海が埋め立てられ、製鉄・石油化学コンビナートの水島臨海工業地域が形成された。岡山県南新産業都市の中枢として発展、県の工業出荷額の過半を占め、従来の産業構造を大きく変化させた。商業は倉敷、児島、玉島、水島がそれぞれの商圏をもち、倉敷駅前が再開発されて近代化した。

[由比浜省吾]

交通

倉敷はJRの山陽本線、伯備(はくび)線の分岐点であり、山陽新幹線、山陽自動車道(倉敷、玉島各インターチェンジ)、国道2号、429号、430号、486号が通じ、備中の交通の要地である。さらに本州四国連絡橋坂出(さかいで)ルートの完成により四国と結ばれ、JR瀬戸大橋線が通じ瀬戸中央自動車道が走る。新幹線の新倉敷駅は玉島にあり、水島臨海鉄道は倉敷と水島を結ぶ。また、北西部を井原(いばら)鉄道が横断する。重要港湾の水島港は、コンビナートへの大型貨物船の出入りが多い。

[由比浜省吾]

文化・観光

1834年(天保5)に倉敷代官所に郷学明倫館が置かれ、1914年(大正3)に大原奨農会が農業研究所(後の岡山大学農業生物研究所。現、岡山大学資源植物科学研究所)を創立した。1930年(昭和5)日本最初の西洋近代美術館の大原美術館が設立された。倉敷川沿いは倉敷民芸館、倉敷考古館などもあり、国の重要伝統的建造物群保存地区。倉敷紡績最初の工場はホテルに改装されて人気を集めている。熊野神社、円通寺、蓮台(れんだい)寺などの古社寺もある。鷲羽山(わしゅうざん)(国指定名勝)は瀬戸内海国立公園の一部で絶好の内海展望台、六口(むくち)島の象岩は国指定天然記念物である。そのほか、市立美術館、自然史博物館などの文化施設、マスカットスタジアム(倉敷スポーツ公園野球場)などのレクリエーション施設がある。また、くらしき作陽大学、倉敷芸術科学大学岡山学院大学川崎医科大学などがあり、学園都市でもある。

[由比浜省吾]

『『倉敷市史 復刻版』全11巻(1974・名著出版)』『『新修倉敷市史』全13巻17冊(1994~2005・倉敷市)』


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改訂新版 世界大百科事典 「倉敷」の意味・わかりやすい解説

倉敷[市] (くらしき)

岡山県南部の市。2005年8月旧倉敷市が船穂(ふなお)町と真備(まび)町を編入して成立した。人口47万5513(2010)。

倉敷市中南部の旧市。1928年市制,67年児島市(1948市制),玉島市(1952市制)と合体。人口43万0291(2000)。JR山陽本線,山陽新幹線,国道2号線などが通り,山陽自動車道の倉敷ジャンクションで分岐した早島支線は,瀬戸中央自動車道を経て四国に接続する。市域は岡山平野西部,児島半島西部を占め,倉敷,児島,玉島水島の四つの中心がある。倉敷は高梁(たかはし)川が堆積した平野に農地開発が行われて発達した町で,17世紀に幕府の代官所が置かれて以来,備中の政治・経済の中心となり,倉敷川の両岸に問屋や蔵屋敷が集中し,それが地名の起源となった。ここが現在の伝統美観地区で,土蔵造の倉敷民芸館,倉敷考古館,大原美術館などの文化施設がある。豪商で大地主であった大原家はこの地を根拠に倉敷紡績倉敷絹織(現,クラレ)を興した。倉紡の初期の工場は美観地区に隣接し,現在,跡地には倉紡記念館や倉紡の建物を生かしたホテルがあり,代官所跡もその敷地内にある。児島は繊維産業の町で,その起源は江戸時代にあり,明治以後紡績や縫製業が発達した。大正末期に足袋の生産から転換した学生服の生産は全国の過半の生産量を誇ったが,1963年にピークに達し,以後はカジュアルウェアなど多種少量生産に努力している。鷲羽(わしゆう)山,瑜伽(ゆが)山などの名勝がある。玉島は近世以来の重要な港町で,良寛が20代前半から約10年間修行をした円通寺がある。水島は第2次大戦末期に三菱重工の航空機製造所が建設されたことから工業化が始まり,高度経済成長期には岡山県南新産業都市の中核として臨海部に重化学コンビナートが形成された。しかし工場の発生する公害のために多数の公害病患者が発生し,その解決には長い時間を要した。
執筆者:

近世には備中国の幕府代官の陣屋町であり,小藩領,旗本知行所が錯綜する備中南部の政治・経済の中心地であった。もとは干潟・浅海地帯だったが,天正年間(1573-92)以降の干拓で陸地化したものとされる。1619年(元和5)池田長幸領のときには63町,375石だったが,42年(寛永19)に天領とされて以降新田開発が進み,95年(元禄8)には163町,1800石となった。その後は増えず1835石で明治を迎える。中央を貫流して児島湾へ流れこむ倉敷川が舟運に利用され,これに沿って蔵屋敷の並ぶ前神町,船倉町,向市場町や,天城往来沿いの本町,東町などが殷賑(いんしん)を極めた。このほかに三十数町があり,七つの町組(ちようぐみ)(のち八つ)に分かれていた。水夫(かこ)屋敷2町4反6畝25歩が高51石3斗6升6合の地子免許をうけている。備中南部の新田開発の進展とともに綿作もひろまり,18世紀以降は綿関係の商・職人の集住が進んだため,1695年の3857人,912戸が1817年(文化14)にはほぼ2倍になっている。1744年(延享1)の本陣屋建設もこうした経済的発展に拍車をかけ,天領の年貢米のみでなく備中諸藩のイグサ,綿,米,他地域の干鰯(ほしか)などの諸物資が集められるようになった。諸藩の掛屋や藩札の版元を勤める者も現れ,また倉敷でのみ通用する銀札も発行された。この繁栄はおもに綿仲買によって新興してきた商人(新禄派)の力によるものであり,その結果寛政(1789-1801)から文政(1818-30)にかけて,従来諸特権を独占してきた13家の商人(古禄派)と彼らとの間に争論が起こった。この新禄古禄騒動は新禄派の勝利に終わり,以後政治・経済上の主導権は彼らが握った。明治以後,彼らの中から県下の大地主が輩出したほか,岡山における近代産業の嚆矢である倉敷紡績も彼らの資本を基に生まれた。1866年(慶応2)4月,長州南奇隊の脱走兵の襲撃をうけて陣屋は焼失。陣屋が再建されないまま,68年1月,岡山藩の鎮撫下に入り,幕府代官による支配は終わった。
執筆者:

倉敷市北西部の旧町。高梁(たかはし)川下流西岸に位置する。旧浅口郡所属。人口7663(2000)。町域は東西を旧倉敷市に挟まれ,北部の丘陵地帯,南部の高梁川沿いの低地からなるが,南部の低地は江戸時代の干拓以前は瀬戸内海の海域であった。現在,干拓地では水田耕作,イグサ栽培が行われている。高梁川が天井川であるため一部の水田地帯は湧水に依存している。丘陵地帯は第2次大戦後,灌漑設備の設置により果樹園芸地帯として発展し,ブドウ,白桃,温室マスカットなどが栽培される。隣接する旧倉敷市への通勤者が多く,水島臨海工業地域の発展に伴い宅地造成が進んでいる。船穂に縄文時代の里木貝塚がある。

倉敷市北西端の旧町。旧吉備郡所属。人口2万2915(2000)。1952年箭田(やた)町ほか4村が合体して町制を施行したが,新町名は吉備真備(きびのまきび)の生地であることにちなむ。高梁川西岸に位置し,中央部を支流の小田川が東流する。小田川の断層谷にははんらん原が開け,南と北は丘陵地帯である。中心集落の箭田は古代の吉備氏の一拠点で,箭田大塚古墳(史)がある。川辺は高梁川の渡河点で,山陽道の宿場町として発達した。小田川のはんらん原は肥沃な水田地帯であるが,増水時に排水不良となる水害常襲地帯である。箭田のたけのこ,南部の丘陵地帯に位置する二万(にま)のブドウを特産とする。水島臨海工業地域の住宅地として発展し,1975-85年には人口増加が著しかったが,90-95年は微減している。堂応寺の宝篋印塔(ほうきよういんとう)は国の重要文化財に指定されている。井原鉄道線が通る。
執筆者:


倉敷 (くらしき)

中世に荘園領主や中央官衙などの貢納物を納めた倉庫の敷地。多くは荷物の陸揚げ,積出しの中継地である港湾におかれ,そこから荘園となり,やがては港湾都市に発展したものが多い。倉所(くらどころ)ともいう。

 もっとも著名な例は,備後国大田荘と,その倉敷地として設定された尾道浦五町の例である。荘園年貢運送のためには,倉敷地は必須のものであり,立荘の2年後に設定されている。肥後国鹿子木荘は立荘の翌年に設定されている。したがって荘園的所領に随伴して,倉敷は必要不可欠のものとして,なんらかの形で設定されていたと考えられる。また,それはいきおい水陸の中継地としての交通の要衝にならざるをえず,このような交通の要衝には,権門の倉敷地が隣接して設定されたとも考えられる。現在の広島市北部,太田川河尻の佐東郡桑原郷には厳島社領志道原荘,壬生荘,また新熊野社領三入荘の倉敷地が2~3町の規模で設定されていたことがわかっている。前掲の尾道浦の御所崎には,中原家の所領もあり,決して大田荘倉敷のみではなかった。倉敷という名ではなく木屋所と呼ばれているが,山城の泉木津には平安中期,17ヵ所の権門所領があったほどである。

 これらの倉敷地には,運送業者が居住していたが,倉敷地の領主には,必ずしも所属しておらず,別個の領主に所属する問丸,楫取(かじとり),寄人(よりうど),神人(じにん),供御人(くごにん),散所雑色(ぞうしき)などの身分を獲得し,部下を従えて,業務に従事していた。したがって,これらの交通の要衝には,各領主や,官衙,国衙の倉敷地が隣接して設定されているとともに,所属を異にする運送業者が混在して居住していた。このような人と土地に対する支配の混在性が,各領主の支配権を弱め,住民の自治権を強めることになった。倉敷地から出発した港町に,自治都市が多いのは,そこに理由が求められよう。博多桑名,大山崎,大津,敦賀など,主要港町の多くは,このような経過を経て発展したといえる。
都市
執筆者:

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百科事典マイペディア 「倉敷」の意味・わかりやすい解説

倉敷[市]【くらしき】

岡山県南部,高梁(たかはし)川下流域と児島半島の一部を占める市。1928年市制,1967年児島玉島の2市と合併。山陽本線,新幹線,伯備線,瀬戸大橋線,山陽自動車道,瀬戸中央自動車道などが通じる。倉敷地区は1888年の倉敷紡績所(現クラボウ)設立後急速に発展し,1926年には倉敷絹織(現クラレ)の設立で繊維工業都市となった。1964年新産業都市指定により,水島地区を中心に重化学工業地帯が形成された。近年は県内の工業出荷額全体のほぼ半分を占めるに至った。地場産業として花むしろ,畳表の製造,学生服縫製がある。かつて代官所があった倉敷川付近は備中(びっちゅう)天領の年貢米積出しで栄えた地で米倉が残り,国の伝統的建造物群保存地区に指定され,多くの観光客を集める。大原美術館,岡山大学資源生物科学研究所,倉敷民芸館,考古館がある。鷲羽(わしゅう)山は瀬戸内海国立公園に含まれる名勝。2005年8月浅口郡船穂町,吉備郡真備町を編入。355.63km2。47万5513人(2010)。
→関連項目伯備線

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「倉敷」の解説

倉敷
くらしき

倉敷地・倉町・倉所とも。おもに貢納物を一時的に保管しておくために設けられた荘園の倉庫,またその敷地。荘園内の荘庫とは別に,最寄りの港湾に設置。倉敷が港湾都市として発達すると,倉敷の管理者である倉本は問丸(といまる)となり,倉敷料(保管料)や問料(運送費)を荷主から徴収。備後国太田荘の尾道,安芸国志道原(しじわら)荘の伊福(いおき)郷,同国壬生(みぶ)荘の桑原郷,同国三入(みいり)荘の左東(さとう)や周防国上得地保(かみとくじほ)の伊佐江など,瀬戸内海沿岸に多い。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「倉敷」の意味・わかりやすい解説

倉敷
くらしき

倉敷地の略称で,荘園から本所,領家へ輸送する年貢などを一時保管しておく場所。そこには年貢物を保管する建物 (倉庫) や事務所などがあり,普通,荘内の中心をなす荘園庁の所在地におかれたが,水運を利用しうる荘園では多く渡し場におかれた。また倉敷地は,倉庫に必要な面積以上の地を占め,やがて独立して荘園となる場合もあった。

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世界大百科事典(旧版)内の倉敷の言及

【児島半島】より

…中央部に瑜伽(ゆが)山蓮台寺,北側に熊野神社などの古社寺がある。現在,半島東部は玉野市,北東部は岡山市と児島郡灘崎町,西部は倉敷市に属する。児島(倉敷市)は本四連絡橋瀬戸大橋ルートの拠点をなす。…

【下津井】より

…備前国(岡山県)児島郡南端の港町。現在は倉敷市下津井。古くから海運・軍事の要地で,16世紀末には宇喜多氏の城砦があり,1606年(慶長11)岡山藩家老池田長政が近世城郭に改築してから町は大いに発展した。…

【玉島】より

…瀬戸内海に注ぐ高梁(たかはし)川の河口にある港町で,岡山県倉敷市に属す。この一帯は近世初頭までは海が湾入し,南に乙(おと)島,柏島が浮かんでいたが,高梁川の沖積作用と干拓によって陸繫化した。…

【当作歩方制】より

…幕末から明治期にかけて,備前児島半島の野崎浜(元野崎浜は倉敷市児島味野,東野崎浜は玉野市山田)でみられた特殊な地主小作制。野崎浜では1塩戸(1軒前)に3種類の当作人が存在し,それぞれ権利を意味する歩方が付与せられていた。…

【水島】より

…岡山県南部,倉敷市の中央南部臨海部にある新興市街地と工業地域を中心とする地区。近世に新田として干拓された地であるが,明治末から大正の高梁(たかはし)川改修により東高梁川が廃川となった地先に,第2次大戦末期に三菱重工業が航空機工場を建設し,廃川地を社宅用地とした。…

※「倉敷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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