佐治宗貞(読み)さじ むねさだ

世界大百科事典(旧版)内の佐治宗貞の言及

【佐治氏】より

…中世後期の武家。《太平記》によれば建武年間(1334‐38)に佐治孫三郎某が丹波に住したとあり,おそらくその本貫地は氷上郡佐治(現,兵庫県氷上郡青垣町)と考えられる。南北朝時代の観応の擾乱(じようらん)のころ,高師直の一族,師詮が丹波・丹後の守護に就任し,佐治氏と高氏との被官関係が成立したと推定され,以後佐治氏は高氏の内衆として活動する。1404年(応永11)1月,高師英が山城守護に就任すると,佐治守直はその守護代に登用され,11年まで山城国内各荘園の遵行・打渡しに当たっている。…

※「佐治宗貞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む