佐渡嶋長五郎 (さどしまちょうごろう)
生没年:1700-57(元禄13-宝暦7)
歌舞伎俳優。父は元禄期京坂の道外方で所作事の名手佐渡嶋伝八。正徳(1711-16)末から芝居をつとめ,若衆方から立役に進んで,和事,実事をよくしたが,その本領は所作事にあり,三ヶ津で所作事中興の祖,当代随一の名手と賞された。その薫陶をうけた役者は多い。後年剃髪して蓮智坊と称した。著書の《佐渡嶋日記》は舞踊史上貴重。《二挺鼓》《後面(うしろめん)》《碁盤人形》また《七化(ななばけ)》の所作がとくに名高く,これらは伝八が伝えて子の長五郎が完成させたといってよく,父子の歌舞伎舞踊の形成に果たした役割は大きい。なお1793年(寛政5)に3世嵐新平(のちの中山文蔵)が2世長五郎を襲名した。
執筆者:佐藤 恵里
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
佐渡嶋長五郎
没年:宝暦7.7.13(1757.8.27)
生年:元禄13(1700)
江戸中期の立役の歌舞伎役者。上方の道外形役者で所作事の名手佐渡嶋伝八の子。5歳のときに江戸で演じた碁盤人形の所作は大好評であった。所作事の名人で,「二挺鼓」「後面」「七化」などが有名である。後年剃髪して蓮智坊と称した。その著書『佐渡嶋日記』は歌舞伎に関する自己の経験,見聞,芸論や所作の秘伝を収めている。本書は宝暦5(1755)年ごろ成立,安永3(1774)年,『役者全書』巻4として京の八文字屋より出版され,翌年には『役者論語』に収録されて同じ版元より再び刊行された。歌舞伎の興行,演技,演目などを具体的に知ることのできる貴重な資料である。<参考文献>『日本庶民文化史料集成』6巻
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の佐渡嶋長五郎の言及
【後面】より
…演者が後頭部に面をつけ,一人で二役を踊り分けること。古くから多く演じられてきたのは,狂言《釣狐》に想を得て白蔵主と狐を踊り分ける趣向で,佐渡嶋長五郎が家の芸としていたものである。これを受けついだ代表作が,1762年(宝暦12)4月江戸市村座で2世瀬川菊之丞が踊った四変化《柳雛諸鳥囀(やなぎにひなしよちようのさえずり)》の一つで,曲は長唄。…
【碁盤人形】より
…元禄の篠塚庄松,宝永(1704‐11)の篠塚菊松などが有名で,奴踊を碁盤の上で踊る絵ものこっている。また,歌舞伎役者で所作事の上手であった[佐渡嶋長五郎]は,5歳のときから碁盤人形で人気を博し,9歳まで踊ったと《佐渡嶋日記》にみえる。明治期に高座で落語家が踊ったことがあり,2代三遊亭円三郎の《紺の前垂》や桂扇枝の《松尽し》が有名。…
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