佐渡嶋長五郎(読み)さどしまちょうごろう

改訂新版 世界大百科事典 「佐渡嶋長五郎」の意味・わかりやすい解説

佐渡嶋長五郎 (さどしまちょうごろう)
生没年:1700-57(元禄13-宝暦7)

歌舞伎俳優。父は元禄期京坂の道外方で所作事の名手佐渡嶋伝八。正徳(1711-16)末から芝居をつとめ,若衆方から立役に進んで,和事,実事をよくしたが,その本領は所作事にあり,三ヶ津で所作事中興の祖,当代随一の名手と賞された。その薫陶をうけた役者は多い。後年剃髪して蓮智坊と称した。著書の《佐渡嶋日記》は舞踊史上貴重。《二挺鼓》《後面(うしろめん)》《碁盤人形》また《七化(ななばけ)》の所作がとくに名高く,これらは伝八が伝えて子の長五郎が完成させたといってよく,父子歌舞伎舞踊の形成に果たした役割は大きい。なお1793年(寛政5)に3世嵐新平(のちの中山文蔵)が2世長五郎を襲名した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐渡嶋長五郎の言及

【後面】より

…演者が後頭部に面をつけ,一人で二役を踊り分けること。古くから多く演じられてきたのは,狂言《釣狐》に想を得て白蔵主と狐を踊り分ける趣向で,佐渡嶋長五郎が家の芸としていたものである。これを受けついだ代表作が,1762年(宝暦12)4月江戸市村座で2世瀬川菊之丞が踊った四変化《柳雛諸鳥囀(やなぎにひなしよちようのさえずり)》の一つで,曲は長唄。…

【碁盤人形】より

…元禄の篠塚庄松,宝永(1704‐11)の篠塚菊松などが有名で,奴踊を碁盤の上で踊る絵ものこっている。また,歌舞伎役者で所作事の上手であった佐渡嶋長五郎は,5歳のときから碁盤人形で人気を博し,9歳まで踊ったと《佐渡嶋日記》にみえる。明治期に高座で落語家が踊ったことがあり,2代三遊亭円三郎の《紺の前垂》や桂扇枝の《松尽し》が有名。…

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