朝日日本歴史人物事典 「佐竹義宗」の解説
佐竹義宗
平安後期の常陸国(茨城県)の豪族。清和源氏の流れで父は佐竹氏の祖昌義。通称竹田三郎。兄弟に忠義,隆義,昌成らがいる。平治1(1159)年平治の乱で源義朝勢力が没落すると,平氏方有力者である下総守藤原親通と結んで下総国に勢力を拡大。千葉常胤らを排除して,義朝敗死ののち謀反人の所領として闕所となっていた相馬御厨の領有権を主張,応保1(1161)年伊勢神宮に御厨を寄進し,御厨預職を相伝した。相馬御厨の権限は藤原親通の次男親盛(平重盛の義父)より伝領したもの。八条院に出仕し,子の義賢ともども八条院判官代に任じられ,またのちには鳥羽院の近臣として中央政界と密接なかかわりを保った。治承4(1180)年,源頼朝の挙兵に並行して千葉常胤が千田親政(藤原親盛の嫡男)を滅ぼし復権したため,この前後に没落したらしい。<参考文献>野口実『坂東武士団の成立と発展』
(海津一朗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報