佐藤佐藤治(読み)サトウ サトウジ

20世紀日本人名事典 「佐藤佐藤治」の解説

佐藤 佐藤治
サトウ サトウジ

大正・昭和期の農民運動家 日農副委員長。



生年
明治34(1901)年1月8日

没年
昭和40(1965)年1月20日

出生地
新潟県北蒲原郡木崎村須戸(現・豊栄市)

経歴
熔解工などをしていたが、大正12年上京し、13年郷里に戻って日農新潟県連合会を結成。以後農民運動の指導者として活躍し、労働農民党に入り、昭和2年共産党入党。3年の3.15事件で検挙され懲役2年に処せられる。出獄後も全農の組織化に力をそそいだ。戦後は日農の再建に尽力し、農地解放のなかで占領軍に検挙され、懲役2年に処せられた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤佐藤治」の解説

佐藤佐藤治 さとう-さとうじ

1901-1965 大正-昭和時代の農民運動家。
明治34年1月8日生まれ。佐藤和藤治の兄。大正13年日本農民組合新潟県連合会を結成し,郷里新潟県の木崎村小作争議で活躍。昭和2年共産党にはいり,翌年三・一五事件で検挙。戦後は共産党に再入党し,農地解放闘争を指導,党中央委員となるが,25年マッカーサーにより追放された。昭和40年1月20日死去。64歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の佐藤佐藤治の言及

【木崎村小作争議】より

…農民側は,三宅正一,賀川豊彦らの講師を招き啓蒙活動をおこなうなどして組織を拡充強化したが,26年4月には地主側の勝訴となる。これに対し,立入禁止の仮執行停止を求める農民側の申請が許可されるが,その数時間前の5月5日夜,執達吏・警察・地主による立入禁止が強制執行され,警察は農民側を激しく弾圧して佐藤佐藤治ら数十名を検束した。この事件は,たちまち全国的反響をよび,農民は日本農民組合の指導のもとに,小学校児童700余名の同盟休校や地主肖像入り真島パンの行商などをおこなった。…

※「佐藤佐藤治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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