改訂新版 世界大百科事典 「木崎村小作争議」の意味・わかりやすい解説
木崎村小作争議 (きざきむらこさくそうぎ)
1923-26年,新潟県北蒲原郡木崎村(現,新潟市)でおきた小作争議で,1920年代日本農民運動の代表例。1923年11月,日本農民組合木崎村連合会が結成され,込米(小作米1俵につき3升の補償米を納めさせたもの)撤廃と小作料減免を要求したことに争議は始まる。大多数の地主はこの要求を受け入れたが,不在地主真島桂太郎ら一部の地主はあくまでも農民の要求を拒否しつづけ,翌年3月には40町歩余の小作地の立入禁止を強行したことにより,大争議へと発展した。農民組合長佐藤三代松が責任を痛感して自刃したため,立入禁止は一時解除されたが,真島らはこの解除と前後して耕作禁止・土地返還・小作料請求の訴訟をおこした。農民側は,三宅正一,賀川豊彦らの講師を招き啓蒙活動をおこなうなどして組織を拡充強化したが,26年4月には地主側の勝訴となる。これに対し,立入禁止の仮執行停止を求める農民側の申請が許可されるが,その数時間前の5月5日夜,執達吏・警察・地主による立入禁止が強制執行され,警察は農民側を激しく弾圧して佐藤佐藤治ら数十名を検束した。この事件は,たちまち全国的反響を呼び,農民は日本農民組合の指導のもとに,小学校児童700余名の同盟休校や地主肖像入り真島パンの行商などをおこなった。同盟休校は無産者小学校へと発展し,多くの文化人がこれを支持した。7月25日の上棟式当日,1000名を超える農民デモ隊と取締りにきた警官隊が衝突し,三宅正一ら25名が検挙された(久平橋事件)。その後は浅沼稲次郎,稲村隆一らの指導のもとに,耕作権確立の要求をかかげ,婦人団の上京陳情,新潟高等農民学校設立などをおこない,27年7月には久平橋事件検束者の全員無罪をかちとった。しかし,日農の分裂や,地主団体と密接な連絡をもった警察の徹底した取締りの前に,この争議は県当局の調停にゆだねられ,その結果土地取上げが認められた。香川県伏石事件(1924),群馬県強戸事件(1921)と並ぶ1920年代の三大小作争議の一つ。
執筆者:大門 正克
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報