木崎村小作争議(読み)きざきむらこさくそうぎ

大辞林 第三版の解説

きざきむらこさくそうぎ【木崎村小作争議】

1923(大正12)~26年、新潟県北蒲原郡木崎村で起きた小作争議。小作人らが日本農民組合支部設立、込米撤廃と減免の要求を掲げ、小学児童の同盟休校、行商、無産小学校建設などの闘争を行なったが、結局敗北した。

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百科事典マイペディアの解説

木崎村小作争議【きざきむらこさくそうぎ】

1922年末新潟県北蒲原郡木崎村(新潟市豊栄(とよさか))の農民の小作料減免要求に始まる小作争議。翌1923年には木崎村農民組合連合会を結成,日本農民組合日農)関東同盟に加盟,地主に込米撤廃などを要求し本格化。大部分の地主は農民の要求を受け入れたが,5人の強硬派地主は未納小作料請求・土地返還訴訟を起こしたため,日農側は三宅正一らを現地に送り,日農新潟県連合会を結成,法廷闘争を続けた。1924年地主側の勝訴となり,立入禁止仮執行をめぐり警官隊と衝突する事件(鳥屋浦事件)が起こり,多数の検挙者を出した。小作側は永小作権を主張して控訴,婦人部員の上京,婦人行商隊活動,小学校児童の同盟休校などの戦術によって耕作権の確立を訴えた。その後無産農民学校協会を設立,農民小学校・高等農民学校の建設を決定,校舎建設を開始,1926年7月学校上棟式当日1000名を超える農民と警官隊が衝突,幹部多数が検挙された(久平橋事件)。9月県知事と争議指導者の間で,同盟休校は解除,無産農民学校は高等農民学校として存続,県が争議調停にあたるなどの妥協が成立。しかし調停は失敗,日農の分裂もあり,永小作権主張は控訴審でも認められず,1930年小作側の敗北で争議は終わった。なお高等農民学校は本科・研究科・専修科を置いたが,1928年経営難のため閉鎖。
→関連項目小作争議日本農民組合

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世界大百科事典 第2版の解説

きざきむらこさくそうぎ【木崎村小作争議】

1923‐26年,新潟県北蒲原郡木崎村(現,豊栄市)でおきた小作争議で,1920年代日本農民運動の代表例。1923年11月,日本農民組合木崎村連合会が結成され,込米(小作米1俵につき3升の補償米を納めさせたもの)撤廃と小作料減免を要求したことに争議は始まる。大多数の地主はこの要求を受け入れたが,不在地主真島桂太郎ら一部の地主はあくまでも農民の要求を拒否しつづけ,翌年3月には40町歩余の小作地の立入禁止を強行したことにより,大争議へと発展した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

木崎村小作争議
きざきむらこさくそうぎ

1922年(大正11)から30年(昭和5)にかけて新潟県北蒲原(かんばら)郡木崎村(現豊栄(とよさか)市)で起きた小作争議。22年に県の生産米検査規則が強化されたため、県下各地で小作人組合が結成された。木崎村でも横井、笠柳(かさやなぎ)両大字(おおあざ)に組合が誕生して小作料減額を要求、大部分の関係地主は承服したが、真島桂次郎(まじまけいじろう)は認めず23年5月に提訴した。同年11月には日本農民組合関東同盟木崎村農民組合連合会が成立し、継米(つぎまい)・二重俵装撤廃などを求めてさらに真島らと対立したが、地主側が小作地内立入禁止の仮処分を強行したため、支部長が抗議自殺した。仮処分解除後、地主側は耕作禁止、土地返還、小作料請求訴訟を起こしたため3年間にわたる大争議に発展、26年4月地主側が勝訴した。小作人側は東京控訴院にこれの仮執行停止を申請したが、地主側が立入禁止の仮執行を強行したため、官憲と小作人側が衝突して全国の注目を集めた。小作人側は小学児童の同盟休校、組合婦人部行商隊の編成、無産農民学校や信用組合の設立、税金不納、官庁陳情など創意に満ちた多彩な活動を展開したが、しだいに抑え込まれ、30年7月控訴院で和解が成立し、小作人側の全面敗北に終わった。[田崎宣義]

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