全国農民組合の略称。
日本農民組合(日農)と,日農から分裂して1927年に結成された全日本農民組合連合会(全日農)が28年に合同して創立した全国的農民組織。全農は当時の無産政党の離合・分裂の影響を避けるため,〈政党支持自由の原則〉を掲げ,運動の再構築につとめた。全農が結成された時期は,農民運動に一時退潮傾向がみえたときであったが,昭和恐慌に入り農民の生活が極度に悪化するなかで,農民運動は再び激化した。昭和恐慌期の小作争議は,土地をめぐる中小地主との死活的な生活防衛闘争という性格をもち,土地立入禁止・立毛(たちげ)差押反対をめぐって官憲と衝突することもしばしばあった。他方,この時期は恐慌の影響が農民全階層に及び,地主攻勢をはね返すためには,従来の小作農中心の運動ではなく,自作農もまきこんだ新たな運動の構築が求められた。全農は土地問題とともに,肥料・電灯料値下げ,借金棒引き,農産物価格保証など広範な農民の要求をとりあげる方針を掲げ,反独占要求を含む闘いが全農のもとで展開されはじめた。しかし1931年以降,左派は弾圧をうけてしめだされ,独自に全農全国会議派を創設,全農総本部派と分立した。全国会議派は新たに農民委員会運動を提唱し,未組織農民の組織化をはかった。この運動は満州事変後の困難な社会状況のもとで,弾圧に抗しながら借金棒引き,階級的産業組合設立などの要求を掲げ,広範な農民の統一をめざしたが,官憲の激しい弾圧をうけてしだいに先細りしていった。1934-36年に全国会議派の地方組織が全農に復帰し,全農は再び組織的に統一された。1934年の凶作に際して,全農は勤労農民生活保証要求運動に取り組み,農民食糧1ヵ年分差押禁止法獲得請願署名,小作法制定要求などをおこなった。36年2月の総選挙には,全農から当選者を出すだけの力量をまだ維持していたが,同年の二・二六事件と翌年の日中戦争の影響をうけるなかで,全農は大きく右旋回した。この年,全農は大衆行動をいっさい休止して挙国一致に協力する方針を打ち出し,戦争協力を表明した。そして翌38年2月には,全農から大日本農民組合(杉山元治郎,三宅正一ら)が分裂し,また稲村隆一,長尾有らが東方会支持の日本農民連盟を結成したため,全農はここに解体した。
第2次大戦後に結成された農民組合の全国組織。1947年7月,日本農民組合第2回大会で除名された平野力三らが,反共・反ファッショ・反資本主義の三反主義を標榜して結成した。会長賀川豊彦,顧問に杉山元治郎と平野を擁し,農産物価格,税金,供米などを闘争課題とし,農業協同組合設立促進運動もおこなった。社会党右派の農民組織としての性格をもち,58年の全日本農民組合連合会(全日農)の結成には参加したが,60年,日本社会党から民社党が分裂したため,全農系の人々は全日農から脱退して全国農民同盟を創設した。
執筆者:大門 正克
正称は全国農業協同組合連合会。農業協同組合(農協)が行う経済事業(共同販売事業と共同購買事業)の全国組織・機関である。1972年,全国販売農業協同組合連合会(全販連)と全国購買農業協同組合連合会(全購連)とが合併して設立され,今日に至っている。全国の各市町村にある農協の経済事業は都道府県単位ごとに組織された経済農業協同組合連合会(経済連)を通じさらに全農へとつながった3段階の系統組織によって運営される。
全農が今日の姿になるまでには長い歴史的経過がある。その前身である全販連は1931年に全国米穀販売購買組合連合会として,全購連は1923年に全国購買組合連合会として,それぞれ設立された。いずれも当時の農村にあった産業組合(今日の農協の前身)を基盤にした全国連合組織であり,全販連は米穀の販売を,全購連は肥料の購買を主たる事業としていた。両者は第2次大戦中に一時統合されたが,敗戦後の農村民主化のなかで47年農業協同組合法の制定があり,新しい農協が発足したことに対応して,48年に同法にもとづき全販連,全購連として再発足した。その後20余年を経るなかで,しだいに事業規模が拡大,伸張するとともに,他方では農村の販売,購買市場は商系資本の進出によって競争が激化していった。そのため70年代に両者の一体化の気運が高まり,全農の設立に至ったのである。
全農の組織は設立当初には各都道府県ごとの経済連が会員となって構成されていたが,1977年からは各市町村の農協にも直接加盟の道が開かれて大部分の農協が直接会員となった。今日では約4100の農協と約60の経済連が加盟している。全農は,農協や経済連の規模では十分に機能しえない大規模経済の有利性を発揮し,同時に農協や経済連ごとの統括,連絡調整を行うことによって,農協の経済事業を補完し,またオルガナイザーとしての役割を果たすたてまえになっている。
販売事業としては,米穀をはじめとする各種の農畜産物を有利に販売するための販路の開拓・確保や価格交渉,出荷調整,加工事業などを行い,購買事業としては,農協組合員の必要とする農機具,肥料,飼料,燃料などの生産資材や食料品,衣料品などの生活物資の共同購入や共同生産を行っている。その事業活動は一般の卸売業者や総合商社の行う事業と類似しているが,利潤追求を目的としない協同組合活動を原則としているというたてまえの相違がある。
全国機関としての全農は95年現在出資金269億円,東京の本所をはじめ全国に直営の事業所として生鮮食品集荷センター(東京,大和,大阪),畜産センター(中央,近畿,中京,九州),中央鶏卵センターなど約100ヵ所をもち,農業技術センター(平塚),飼料畜産中央研究所(筑波)などの研究所をもっている。また全農が出資する関連企業は農薬のクミアイ化学工業,肥料のコープケミカル(以上2社は東証一部上場),組合貿易,全国農協乳業,全農サイロ,くみあい飼料,全農グレイン等々百数十社に及んで,いわゆる全農グループを形成している。さらにヨーロッパやアメリカなどに事務所や施設,関連企業をもつなど海外にも進出している。
全農の事業収益は1994年度には6兆3417億円,総資産1兆0935億円に達しており,その規模はトップクラスの総合商社に匹敵する大きさになっている。これからは21世紀の農業や農村生活を展望した協同活動を確立し,その基盤に立った事業展開が課題となっている。
執筆者:臼井 晋
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農業協同組合の全国段階の連合組織である全国農業協同組合連合会の略称。
[編集部]
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…しかし,組合の分裂や弾圧がつづくなかでも,下部では農民戦線が統一して闘う地域も少なくなかった。そのようななかで,28年には日農と全日本農民組合が再合同して全国農民組合(全農)を結成し,指導の統一をはかったが,方針をめぐる左右の対立・抗争はその後もやまなかった。 1930年代に入り,深刻な農業恐慌がつづくなかで小作争議は再び増勢に転じた。…
…都道府県段階の連合会は全国に510ある(1996年3月末現在)。全国連合会には各県の連合会の全国機関として,それぞれ全農(全国農業協同組合連合会),農林中央金庫,全共連(全国共済農業協同組合連合会),全中(全国農業協同組合中央会。〈農協中央会〉の項参照)がある。…
※「全農」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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