20世紀日本人名事典 「佐藤六石」の解説 佐藤 六石サトウ ロクセキ 明治〜昭和期の漢詩人 生年元治1年(1864年) 没年昭和2(1927)年4月22日 出生地越後国新発田(新潟県) 本名佐藤 寛(サトウ ヒロシ) 別名字=公綽 学歴〔年〕皇典講究所〔明治20年〕卒 経歴新発田藩士の家に生れる。明治15年「新潟日日新聞」編集長となり、筆禍により入獄。17年上京。森槐南の主宰する星社に加盟して漢詩壇に活躍するかたわら、国学院、慶応義塾などに出講した。伊藤博文が朝鮮統監の職にあったとき、李王の顧問を務めたこともあった。大正6年から随鷗吟社主幹。昭和4年詩文集「六石山房詩文鈔」を刊行した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤六石」の解説 佐藤六石 さとう-ろくせき 1864-1927 明治-大正時代の漢詩人。元治(げんじ)元年生まれ。明治15年「新潟日日新聞」の編集長。17年上京して皇典講究所にまなぶ。23年森槐南(かいなん)の主宰する詩社「星社」にくわわる。のち韓国統監の伊藤博文(ひろぶみ)の推薦で李(り)王家顧問をつとめた。昭和2年4月22日死去。64歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本名は寛(ひろし)。字(あざな)は公綽。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by