1882年,東京市麴町区飯田町(現在のJR飯田橋駅付近)に設立された財団法人。その目的は〈凡ソ学問ノ道ハ本ヲ立ツルヨリ大ナルハ莫シ〉(初代総裁有栖川宮幟仁(たかひと)親王の告諭)ということから,国体を講明し,徳性を涵養し,皇典を講究して祭祀・旧儀古式を明らかにし,かつこれに必要な教育を施して国家有用の人物を養成することにあった。本所は,当初,神道界の人材育成を行ってきた神道事務局生徒寮の事業を継承したものであったが,1890年,初代所長山田顕義はその制度を一新して国学院を創設し,学問の領域と教育の規模を拡張した。草創期には矢野玄道,権田直助をはじめとする多くの国学者を擁し,《古事類苑》の編纂にも大きく寄与するところがあった。おもな事業は国学院大学を経営し,また内務省から委託された神職養成の事業を行い,神職資格である学階の検定試験を行うことであった。1923年には渋谷区の現在地に移転した。第2次大戦後の1946年,占領軍の命令により解散し,国学院大学は,財団法人国学院大学(現在は学校法人)として再出発した。
執筆者:大原 康男
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…東京都渋谷区にある私立大学。1882年自由民権運動に対抗する国粋主義の気運を反映して,全国の神職団体が設立した国典・国学の研究教育機関,皇典講究所が前身。同講究所は皇室から多額の内帑金(ないどきん)をうけ,神職養成や国学普及の文化事業を展開,90年には教育事業を拡充して国学院を設立した。…
※「皇典講究所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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