佐藤晩得(読み)さとう・ばんとく

朝日日本歴史人物事典 「佐藤晩得」の解説

佐藤晩得

没年:寛政4.10.18(1792.12.1)
生年享保16(1731)
江戸中期の俳人通称,又兵衛祐英。堪露,北斎,朝四,木雁,哲阿弥などを号す。居が向島牛島神社近くにあったので,半渚老魚,牛島庵とも称した。秋田角館の人。佐竹藩江戸詰留守居役を勤めた。俳諧は右江渭北門のち馬場存義門。西山宗因の風を慕い,居室に「清談林」の額を掲げたという。谷素外らと考えを同じくした。交流圏は広く,酒井抱一,柳沢信鴻,十寸見蘭洲らと親交する。句集に七回忌刊行の『哲阿弥句藻』がある。多くの著作のうち,諸俳人の逸話を記した『古事記布倶路』は特に有名。

(楠元六男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤晩得」の解説

佐藤晩得 さとう-ばんとく

1731-1792 江戸時代中期-後期の俳人。
享保(きょうほう)16年生まれ。出羽(でわ)久保田藩(秋田県)の江戸留守居役。馬場存義(そんぎ)の門人で酒井抱一としたしく,西山宗因風をこのんだ。遺句集に「哲阿弥(てつあみ)句藻」,随筆に「古事記布倶路(ぶくろ)」。寛政4年10月18日死去。62歳。名は祐英。通称は又兵衛。別号に哲阿弥,木雁,北斎,朝四など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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