デジタル大辞泉 「しく」の意味・読み・例文・類語 し‐く 《過去の助動詞「き」のク語法》…たこと。「住吉すみのえの名児なごの浜辺はまへに馬立てて玉拾ひりひ―常忘らえず」〈万・一一五三〉[補説]「水たまる依網よさみの池にぬなは繰り延はへけく知らに」〈応神紀・歌謡〉のように「けく」となることもあり、「しく」の古形ともいわれる。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「しく」の意味・読み・例文・類語 し‐く ( 助動詞「き」のク語法 ) …したこと。[初出の実例]「吾が背子を何処(いづち)行かめとさき竹のそがひに寝之久(シク)今し悔しも」(出典:万葉集(8C後)七・一四一二) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「しく」の意味・わかりやすい解説 シクŠik,Ota [生]1919.9.11. チェコスロバキア,ピルゼン[没]2004.8.22. スイス,ザンクトガレンチェコスロバキアの経済学者,政治家。第2次世界大戦前から左翼運動に参加し,1940~45年マウトハウゼン収容所に入所。 1945年共産党に加入。プラハ大学で学び,1950年経済学博士。 1951~57年党政治大学教授,1957~62年社会学研究所教授。 1962年党中央委員となり,経済学研究所所長に就任。大胆な経済改革を提案し,1968年の改革に参加,4月には副首相に就任した。ソビエト連邦の軍事介入 (→チェコ事件 ) 後ユーゴスラビアに逃れ,翌 1969年スイスに亡命,1970年以降ザンクトガレン大学教授。 1983年スイス国籍取得。 1989年 12月チェコの民主化革命 (→ビロード革命 ) のさなか 21年ぶりに帰国した。 1972年,1976年に来日。主著『チェコスロバキア経済の真実』 La verité sur l'économie tchécoslovaque (1968) ,『第3の道』 Der dritte Weg (1973) ,『ドグマのない経済のために』 Für eine Wirtschaft ohne Dogma (1974) ,『共産主義権力体系』 Das kommunistische Machtsystem (1975) など。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by