佐藤氏(読み)さとううじ

改訂新版 世界大百科事典 「佐藤氏」の意味・わかりやすい解説

佐藤氏 (さとううじ)

田原藤太秀郷を祖とする秀郷流藤原氏の武士の一流。秀郷から数えて6世の孫の左衛門尉公清をはじめとして,その子の季清,孫の康清らがみな左衛門尉になったため,左衛門尉の左と藤原の藤をとって佐藤というようになったという。この一族出身で有名な人に歌人の西行がいる。彼は俗名佐藤義清,はじめはやはり左衛門尉で,鳥羽院の北面の武士であった。西行の家は代々紀伊国田仲荘の預所になっていて,源平争乱期には西行の兄の仲清とその子能清が武力をふるって活躍している。また陸奥国信夫荘(福島市)の荘司(湯の荘司ともいう)であった佐藤氏も有名である。すでに藤原基衡(?-1156)の時代に,その従者として〈信夫の郡司〉〈大荘司季春〉なるものがいたが,源平争乱期には源義経の従者として屋島の戦や吉野において活躍,討死した佐藤継信・忠信兄弟はこの一族である。彼らの父の佐藤荘司も,源頼朝のいわゆる奥州征伐のさいに,藤原泰衡郎従として,阿津賀志山(福島県伊達郡国見町)の戦において討死している。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐藤氏の言及

【田仲荘】より

…紀伊国那賀郡(現,和歌山県那賀郡打田町,桃山町)の荘園。11世紀の成立と推定される摂関家領荘園で,1110年(天永1)藤原忠実(ただざね)によって得分(とくぶん)の一部が日吉神社の法華八講料にあてられている。鎌倉時代には近衛家領となったが,近衛家は荘務権を有せず,領家職(りようけしき)は僧円基(近衛基通の子),僧慈禅(近衛兼経の弟)を経て,その法系である浄土寺門跡(もんぜき)が室町末期にいたるまで伝領した。…

※「佐藤氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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