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田仲荘 たなかのしょう

百科事典マイペディアの解説

田仲荘【たなかのしょう】

紀伊国那賀(なか)郡にあった摂関家領の荘園で,現和歌山県内田(うちた)町の南半域に比定される。田中とも書いた。成立時期は不明。12世紀初めには摂関家領となっており,1110年藤原忠実(ただざね)から得分(とくぶん)の一部が近江日吉社(日吉大社)に法華八講(ほっけはっこう)料として寄進されている。

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世界大百科事典 第2版の解説

たなかのしょう【田仲荘】

紀伊国那賀郡(現,和歌山県那賀郡打田町,桃山町)の荘園。11世紀の成立と推定される摂関家領荘園で,1110年(天永1)藤原忠実(ただざね)によって得分(とくぶん)の一部が日吉神社の法華八講料にあてられている。鎌倉時代には近衛家領となったが,近衛家は荘務権を有せず,領家職(りようけしき)は僧円基(近衛基通の子),僧慈禅(近衛兼経の弟)を経て,その法系である浄土寺門跡(もんぜき)が室町末期にいたるまで伝領した。

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世界大百科事典内の田仲荘の言及

【荒川荘】より

…59年(平治1)美福門院が鳥羽上皇の菩提を弔うために高野山に寄進し,金泥一切経蔵料所とされた。成立当初より摂関家領田仲・吉仲両荘などとの間に領有をめぐる紛争があり,とくに田仲荘の預内舎人佐藤仲清・能清父子の侵攻は鎌倉初期まで執拗(しつよう)にくりかえされた。これは田仲荘域が紀ノ川以南まで及んでいて,荒川荘の北辺との境界があいまいであったためであろうが,高野山は64年(長寛2)在家70宇,田畠14町余を寺僧に配分する免家・分田支配を他荘にさきがけて創設し,これに対抗した。…

※「田仲荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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