百科事典マイペディア 「田仲荘」の意味・わかりやすい解説
田仲荘【たなかのしょう】
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紀伊国那賀郡(現和歌山県紀の川市,旧打田町・旧桃山町)の荘園。11世紀の成立と推定される摂関家領荘園で,1110年(天永1)藤原忠実(ただざね)によって得分(とくぶん)の一部が日吉神社の法華八講料にあてられている。鎌倉時代には近衛家領となったが,近衛家は荘務権を有せず,領家職(りようけしき)は僧円基(近衛基通の子),僧慈禅(近衛兼経の弟)を経て,その法系である浄土寺門跡(もんぜき)が室町末期にいたるまで伝領した。12世紀後半の56年(保元1)以降,紀ノ川南岸の耕地をめぐって荒川荘との間に激しい堺相論が起こった。田仲荘の預所佐藤仲清・能清父子が平家の威勢を背景に押領を企てたためであるが,彼らの行動は鎌倉幕府に支持されず,紛争は86年(文治2)をもって終息した。なお《尊卑分脈》の記述を信じれば,仲清の弟は歌人として著名な西行(さいぎよう)(俗名佐藤義清)である。鎌倉時代には田中氏を称する武士がおり,湯浅党の一員となっている。室町時代にも荒川荘との紛争がみられるが,これは紀ノ川以南にあった田仲荘の入会(いりあい)権をめぐって起こったものらしい。
執筆者:小山 靖憲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…59年(平治1)美福門院が鳥羽上皇の菩提を弔うために高野山に寄進し,金泥一切経蔵料所とされた。成立当初より摂関家領田仲・吉仲両荘などとの間に領有をめぐる紛争があり,とくに田仲荘の預内舎人佐藤仲清・能清父子の侵攻は鎌倉初期まで執拗(しつよう)にくりかえされた。これは田仲荘域が紀ノ川以南まで及んでいて,荒川荘の北辺との境界があいまいであったためであろうが,高野山は64年(長寛2)在家70宇,田畠14町余を寺僧に配分する免家・分田支配を他荘にさきがけて創設し,これに対抗した。…
※「田仲荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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