精選版 日本国語大辞典 「藤原基衡」の意味・読み・例文・類語
ふじわら‐の‐もとひら【藤原基衡】
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(大石直正)
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生没年不詳。古代末期東北の武将。奥州藤原氏第2代。父清衡(きよひら)が開いた平泉(ひらいずみ)創業の仕事を強力に推進し、「在国司」の称があった。宗形宮内卿師綱(むなかたくないきょうもろつな)が国守として下向して検注を行ったときには、信夫(しのぶ)大庄司季春をして抵抗させ、左大臣藤原頼長(よりなが)の荘園(しょうえん)年貢増徴の要求にもたやすく応じなかった。毛越寺(もうつうじ)を建立するときの豪奢(ごうしゃ)な贈物は都人の耳目を聳動(しょうどう)させ、その「荘厳(しょうごん)」は「吾朝無双」と称された。3代中もっとも恵まれた体躯(たいく)の持ち主だった。
[高橋富雄]
『高橋富雄著『平泉』(教育社歴史新書)』
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?~1157?
平安後期の武将。清衡の子。母は平氏という。陸奥・出羽両国の押領使。父の死の直後,1129年(大治4)兄惟常(これつね)と戦って勝利を収め,奥州藤原氏2代目当主の地位を確立。平泉を本拠に奥羽両国を支配し,子の秀衡とともに奥州藤原氏の全盛期を築いた。摂関家に所領を寄進しその管理にあたったが,53年(仁平3)年貢増徴をめぐって藤原頼長と争った。毛越(もうつう)寺を建立。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…在庁官人一般を統轄する,いわば在地における有勢者としての側面から在国司の呼称が用いられるに至ったものである。鎌倉時代の説話集《十訓抄》には陸奥国をその武威によって支配した藤原基衡が在国司と呼ばれたことが見えているが,これも基衡が国司にも匹敵する在地の実質的権力を保有していたためであろう。【関 幸彦】。…
…平安時代末の12世紀,奥州藤原氏代の保護のもとに,その居館のあった平泉を中心に開花した仏教文化。平泉は,その盛時には中尊寺(ちゆうそんじ),毛越寺(もうつじ),無量光院(むりようこういん)などの大寺院が甍(いらか)を並べ,日吉,白山,祇園,王子,北野天神,金峰山,今熊野,稲荷などの諸社が計画的に配置された都市であった。 中尊寺は藤原清衡(きよひら)によって1105年(長治2)に着工され,26年(大治1)3月24日に落慶供養が行われた天台系の寺院で,このときの堂宇は,供養願文によれば三間四面の檜皮葺堂1宇,三重塔3基,二階瓦葺経蔵1宇,二階鐘楼1宇というものであったが,《吾妻鏡》の文治5年(1189)9月17日条では,寺塔60余宇,禅坊300余宇といわれている。…
※「藤原基衡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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